日本人(特に女性)の凄いところ
1年間の留学を終えて、日本に戻ってきて、日本のいろんな友達と会っています。「留学はどうだった?」の報告です。私はこの1年で今まで経験したことないような体験をいっぱいして自分の考え方がずいぶん変わったなと思っています。でも「私はこの1年で何も変わってないかも…」と主婦のみんな声を揃えて言います。
その会話の中で、日本人の友達とマルタやアイルランドで出会った友達とは全然違う考え方や意見を持っているなとしみじみと感じるのです。そりゃそうです。生きてきた環境も文化も違うんだから。
そこで思うのは、日本人(特に女性)って凄いなって思うことです。例えば↓
ずっと働いてるところ
これは日本人全般に言えます。土日は休むものの、土日が休みなだけでも幸せだと思っているところ(土日休めないのが当たり前なのか?)。長期休暇もあるだけ幸せって思っているところ(夏季休暇が1週間とかしかないのに)。
仕事があるから長期休暇が取れないことが当たり前だと思っているところ
もし長期の休みが取れたら、それはとても幸せなことで、めちゃくちゃ恵まれているし、むしろ贅沢だとまで思っているところ。「いい会社でよかったね」となるのです。日本の会社はどこもブラック企業なのかもしれない。
マスクをちゃんとしているところ
すでに暑くなってきている東京。それでも外を歩いている人はほぼマスクをしています。マスクを外すと「あいつは頭おかしいんじゃないか?」と周りに思われるのが嫌だから外さないと言っていました。もうマスクは体の一部という人も結構います。
電車やバスが時間通りにくるところ
電車やバスがちゃんと時刻通りにきています!遅れるときは遅延のお詫びをしているところ。ダブリンはまぁまぁ正確だったけど、ちょいちょい遅れてました。そしてマルタは正確な時間に来ることはまずないし、時間より早く着いたら定時刻まで待つことなく行ってしまいます。ほんとテキトーです。でも誰もそんなことでいちいち怒ったりしてません。
奥さんは家族にひたすら尽くすところ
主婦は子供や旦那の帰りに合わせて駅まで車で迎えに行くところ(駅から家まで歩くと20分位かかるから?)。ランチをしていても「息子がそろそろ駅に着くから、ここで帰るわ」と主婦達は立ち去り、お開きになります。「ゴミを捨てている旦那を他の人に見られると恥ずかしいから旦那がゴミ捨てをすることはない、旦那がキッチンに立つことはないよ」と、さらりと言えてしまう人もいます。
旦那がご飯が作れないことが当たり前なところ。たまにでも旦那が作ってくれるだけ幸せよ!と言えるところもすごい(と思ってしまう)。
旦那の仕事がテレワークになって食事を作る機会が増えたけど、旦那が「簡単な食事でいいよ」と言ったことを優しさと感じているところ(←私だったら「簡単な食事で!…で??(私の翻訳→お前が面倒なら簡単な食事でも俺は構わないよ。俺って優しいなー。あ、でも作ってね)」と解釈してして、腹が立つと思うので私は日本の主婦失格。「で!」じゃなくて、「が!」じゃないの?って思ってしまう。へそまがり?面倒臭い女?
主婦は謙虚で自分に厳しいところ
「この生活ができているのは旦那のおかげだからすごく感謝している」と言えるところ。「私1人では生活ができないからね。旦那と離婚をしたら一文なしになるし」(←結婚して30年、子供も立派に育てているのに)と言うところ。もし奥さんがいなかったら、旦那らは妻のように子供の世話ができたのかな?って思ってしまうんですけどね、私は。日本の妻達は旦那のおかげで家に住むことができているんだなーと思わされました。
常に自分のことよりも旦那を一番に考えているところ
「海外留学かー、良いなー、行きたいなー。でも旦那と犬がいるから行けないなー」と言えるところ。「留学や旅行には行きたいけど、私だけ楽しい思いをするわけにはいかないから」「旦那は仕事があるし、旦那は私が楽しんでいると嫉妬するから」と言って、我慢をするところ。
「でもうちの旦那の偉いなって思うところはご飯の後にちゃんと”美味しかった”って言ってくれるの」と、言えるところ(←これは偉いことなの?当たり前だろ?と思ってしまう私)。でも言わない旦那が多い証拠だと思います。
私はこれらの話を聞くたびに「え!!まじ!」「私はそんなの嫌」と思ってしまうのです。でも世のママ達はそれをちゃんとこなしています。そんなママ友の話を聞いていると、それができない自分が主婦として出来損ないで、ダメ主婦だとどんどん思えてくるのです。私の考えはきっと日本では”わがまま”に値するんだろうな。日本の女性は(私のようにわがまま言わず)それを感謝と捉え、家族(旦那とか)に尽くす、それが日本女性であり日本文化なんだと思います。だからたとえ旦那に優しくされなくても食べさせてもらえているから感謝よと言えるんだと思います。
日本の主婦は器がデカすぎる。
旦那がたとえ「飯・風呂・寝る」くらいのコミュニケーションしか取らなかったとしても、家にお金を入れてくれることにしっかりと感謝をしなければいけない。私はそのお金に対する感謝の気持ちが足りないのかもしれないと思うのでした。
こういう話を聞くたびに、それらの意見に共感できない私は日本人らしくないと思うのでした。私は器が小さい、日本の主婦のように寛大な心を持っていないと思います。それは自分に甘く旦那に厳しいのかもしれないです。
せっかくヨーロッパの教会に行きまくって、自分の心が晴れた気がしていたのに、また自分の心がドロドロとしてくるのを感じるのでした。ま、そこに違和感を感じてしまう私は”変わり者の日本人”であることは間違いないです。
留学しているときも「Okanは日本人じゃないみたい。コロンビア人みたい」だの「イタリア人みたい」だの「スペイン人みたい」だの色んな人に言われたのは、そう言うことなのかもしれないです。お金も大事だけど、コミュニケーションの方がよっぽど大事って思っちゃうんですよねー。だから、私はくそ可愛くない妻だったと思います。
とはいえ、日本に戻ってきて2週間、また当たり前のようにマスクをしているのでした。ああ、結局、私も日本人。