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わたしはわたしをこわしたい

話は学生時代に遡ります。

部活仲間と昼食をとっていたときのことです。
学生食堂の長テーブルで向かいあう先輩が棘を含んだ口調で言いました。
「マリナさんってさぁ、貴族みたいに食べるよね。」
彼女が常日頃から切り捨てるように他人を評する人であることは知っていました。よってそのトゲトゲしい言葉に傷つきはしなかったものの我が身を振り返って「ほんまにその通りやなぁ。」と私は深く頷いたのでした。

たしかに食事の際の私は貴族のような振る舞いでした。
ナイフフォーク箸づかいはテーブルマナーのお手本のような所作で、ひとくちはとても小さく、咀嚼する顎の動きも静か。
非常に体面を気にし常日頃より周囲から上流階級に見られるよう腐心していた両親の厳しいしつけの賜物です。

そのとき突然、私は気まぐれを起こしました。
大口を開けてけらけら笑いながら、ときには頰づえをついたりなぞしつつ食べてみたらどうやろか。同じテーブルに貴族はおらんわけですし。
同じメンバーと同じ食堂で翌日そうやって食事をしてみました。
いつもより「お行儀の悪い」食事の時間。その楽しいこと楽しいこと。
同席の仲間たちの笑顔がぐっと近くなり、心がほぐれて、食堂のいつも食べているゴボウの唐揚げの味さえ変わってしまったようでした。

変わったんはゴボ唐の味だけと違います。その日を境にすべてが変わってしまいました。
それまでは清く正しく端正に、より良く、より高く、規範的に生きることを目標に過ごしていました。
馬鹿だと思われることは恐怖でしかなく、物を知らない礼儀知らずであってはならないと自分を厳しく律していました。

まぁでも、そんなことはせんでもよかったわけです。
より美しく、より上品に、どんなに細かいルールも遵守する、そんな振る舞いは大学の食堂という場において全くもって不要でした。
むしろ、あなたと違って私は高貴なのです、という無意識の垣根を周囲に感じさせる厄介な障壁を醸し出していたかもしれません。


より高いところを目指す発想しかなかった私が、水平に物を見るようになったのはその頃からです。
高みばかりを見ていたその目であたりを見渡すと、なんとまぁ、世の中には面白いものが転がっていること。
不真面目な馬鹿が面白い、真面目な馬鹿も面白い、ただの真面目もなんだか面白い。なんでもかんでも、どこにだって面白いものが転がっているのでした。

私は馬鹿になってみることを好むようになりました。
今までどおり、頂きを目指すことも相変わらず好きでしたが、裾野を散策する楽しみを覚えたのです。
あぁ、楽しい、あてもなくぶらぶらと彷徨うことのなんと楽しいことか。

そのうち、高低だとか、水平だとか、偉いだとか偉くないだとか、そういった意識さえ溶けてなくなっていきました。
世に言う「高尚な」考え方も、「低俗な」考え方も、ただそこにあるだけ。どちらが「良いもの」なのか。自分の中にあった基準はいつのまにか壊れてなくなっていたのです。
その考え方を、自分が好むか好まないかだけ。
楽しいか、楽しくないかだけ。


20代の私はずぅっと破天荒に過ごしてきました。
休日は今までやったことがないことを探して思いつきでどこまでも行ったりして、仕事では今までのやり方にわざと背いてみたりして。
楽しいんですよ。
今までの自分を壊すのが。
それにそうしている方が友人も上司も面白がってくれます。
たまには嫌われたり失敗したりもしますけどね。得られるものの大きさに比べたら、大した損傷ではありません。

「私」を壊しつづける。定まった「私」がどこにもいない状態、それこそが「私」である。
何にでもなってよくて、何にもならなくてよい。
20代の滅茶苦茶な行い(といっても常識の範囲内ですけど)を通じて私はとても快適な「私」を得ました。


30代になり子を2人産んで、さすがに気まぐれで自分を壊すことができなくなりました。
だってね、幼子を抱えて、来週はモンゴルに行って馬で草原を駆けてきます、なんてことはできないわけです。29のときにはやりましたが。
本気でやったらできなくはないと思いますよ。シッターさんを使ったり、親族の手を借りたりすれば。
ただ、私は身体を壊してしまいました。ちょっとまだ、破天荒な無茶は怖い。無茶したあとに必ずやってくる不調が怖い。
身体を言い訳にしてやらないぐらい、腰が重い。

育児にかかりきりになり、自在に自分を壊せなくなった私は鬱々としはじめました。
「私」は常に「母としての私」になってしまった。
自分が自分でなくなってしまったかのような日々に、私は混乱しはじめました。
酸素が薄くなったようで、苦しくて。


そんなときに出会った『note』。
あなたも愛用している、このプラットフォームです。
ここで私は文章を書くようになり、最初の頃こそ固い文体で「母としての私」が書く育児エッセイなどを書いていましたが、いつのまにか殻が破けていたようです。

何、このマリナ油森というアカウント。
何、この怪しいネズミチャン。


note珍百景呑みながら書きました
真面目な話を書いてるかと思えば、気の抜けたどうでもいい話も書いてるし、なんなのこのアカウント。バカナノカナ。

最高だ。

帰ってきた。

私は帰ってきたよー。

表現の世界で私は私をとりもどしたようです。

noteを書きつづけてとりもどした、私が私を壊せる「私がどこにもいない私」。
嬉しい、また私に出会えて嬉しい。
noteを書きつづけられたのは、読んでくれたみんなのおかげだね。

ありがとっ。

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マリナ油森
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