総員、心に銃を持て
優しい人だと勘違いされると困るから書いておく。
いつも遊んでくれている身近な人だけでいいから、これとセットで読んでほしい。
インターネット上のトラブルに備え「クリエイターのセーフティネット」を作ろうという呼びかけだ。ここで言う「クリエイター」はnote社が定義する「クリエイター」つまり「一億総クリエイター」のことで「人間」と同義である。
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12月の呑み書きでnoteさんに絡み酒をした。
街にしてはさ、立法司法の機能が弱すぎるんだよ、行政と商業区ばかり発達しちゃってさ。おかげでnoteは銃社会だよ。
「noteは銃社会だ」ってなんだかnoteさんを責めるように書いてるけど、実のところは「noteは銃社会であるべきだ」と思っている。酔っ払ってるとそういうとこに補足を入れる配慮が回らないから困っちゃうね。
noteの街でいう銃は「言葉」にあたり、銃規制をするということは、すなわち言論規制をするとイコールになる。言論は自由であるべきだし、虐げられたら撃つ、撃たれたら撃ち返せる方がフェアだ。銃規制されて困るのは結局のところ弱い立場の人間である。(現実世界は知らないよ、noteの街の話だよ。)
また創作物を公に発表することは戦場に銃を持って出るということだ。何かを公開すれば、ポジティブな反応もネガティブな反応も両方あるのが自然である。noteでは辛口にこきおろされた経験がないけれど、私も昔、自主制作映画を作っていたときにはそれはもうボロクソに言われた。的外れで「はぁ?ちゃんと目を開けて見ましたか」と反論したくなるようなものや、人格否定でしかないものも。うっせぇなって毒づいて、次の作品づくりに取り掛かるのだ。
創作物の公開は銃の引き金を引くことに外ならない。実弾を空に放ちみんなでニコニコそれを眺めているのがnoteの街で、それはとても平和な光景であるが、祝砲であっても銃は銃である。どうしたって銃声を聞きつけてこちらに撃ってくる人というのは出現する。だって創作の街だから。
noteの街の欠点は「銃の扱いが下手な人」「創作の場には常に銃弾が飛び交っていることを知らない人」が住民の多くを占めていることである。
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大学生の頃に商業映画やテレビCM制作のバイトやインターンシップをしていたことがある。そのとき周囲で働く大人を観察していろいろと感じ取った。強烈な自己顕示欲を持った人たちの名誉とお金を求めた勢力争いが繰り広げられていて、この業界を創作愛だけで生き抜くのは難しそうだ、あぁ、これは私にとって金銭的報酬があってこそ続けられる業界だなと。「ものづくり」は好きだったから、業界のちゃんと給料を得られそうな大手企業を受けて、何社か面接までは行ったが落ちた。
最終的に「ものづくりができるところ」という基準でIT企業に就職し、航空や流通、医療などBtoBのシステムを作り、ものづくり欲はそこで満たされていたのだけれど、もしもあっちの業界に行っていたらどうだっただろうかと思うことはある。うんざりはするだろうけれど、荒波に揉まれるのは嫌いじゃないからそれなりに上手くやっていたかもしれない。でも、結婚や出産はしなかっただろう。マッチョに走り続けないと生き抜けない世界だ。
そう。ひと昔前まで、ものをつくって「世の中に対して発表」することはハードルが高かった。自主制作・同人誌文化は前からあったけれど。
いまは簡単(食っていくのは別として)。noteみたいなインターネット上のサービスで、ちゃちゃっと公開するだけで「世の中に対して発表」ができる。これはすごいことだ。育児・介護中であったり、心身の不調を抱えていたりしてキャパシティの少ない人でも「外に開かれた創作活動」ができる。
ただ、それによって弊害が出てきている。
自主制作・同人の創作と、ビジネスの創作との境目を見定められない人が増えたのだ。
※ 「アマチュア/プロ」とは書かない。プロの中にもソーシャリー・エンゲイジド・アート(市場価値よりも社会的意義に重きを置いた芸術)など資本主義に軸足を置かない活動をメインとするアーティストもいるため。資本主義的な競争に晒されるか否かという意味で「自主制作・同人/ビジネス」とする。
零音さんのツイート、たとえが上手いよね。これ見て、そっかnoteの街の人はこの意識が希薄なのだと気づいて、このnoteを書こうと思った。
ほんそれなのだ。
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note社はミッションに「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする。」を掲げている。
ビジネス創作の最前線を走る人から見れば甘ちゃんな考えである。ゲロ甘。
でもさ、これってロックだと思ったの。
今まで資本主義にひれ伏さなければクリエイターは食っていくことができなかったのを、既存の流通に乗らなくても食えるようにしたい、っていうマーケットへの反骨心でしょ。個人的に反骨心はすごく好き。
先述のnoteさんへの絡み酒、末尾にこうあるんだけど
noteさん、どうなの。有機的に変化する街を本気で作りたいの、それとも、ユーザーは俺の手の平で踊っとけって思ってるの、どっち。
これは、その志が本物なのかを確認したくて書いた。
「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする。」を看板に掲げて、よわよわクリエイターを集めてユーザー数を水増しして、商売に利用してるんだったら悪質だぜ、って。それなら私はその片棒を担ぎたくない。
結果、noteの社員さんから「本気で創作の街にしたいと思っている」とコメント・メッセージ・アンサーソングをいただいたから、それを信じてる。
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インターネットを良くしたいとかカッコイイこと言う以前にやりにくいのよ。noteはあくまでも遊びでやってるんだけど、横でバタバタ人が倒れてるの見ながらだと遊びにくいんだわ。なんかここ一年ぐらいメンタルやられる人を本当によく見る。このご時世で、オフラインがメイン戦場だったはずのビジネス勢力が急速にオンラインに流れ込んできているのも関係があるかもしれない。オンラインの創作って元々、自主制作・同人が幅を効かせていたはずだもんね。
私はもうしばらくnoteで遊びつづけるつもり。よわよわクリエイターとつよつよクリエイターがごっちゃになって遊べるのが理想。遊び場の環境を整えるためなら労力は惜しまない。
創作の世界では撃たれて耐えられないやつは置いていけが当たり前だけど、noteは「あらゆる人、あらゆる組織の、クリエイティブ活動を助け、続けていくための手助けをしていく。」がミッションだから、よわよわクリエイターも胸張って創作していい場所のはずだ。現時点ではよわよわクリエイターへの「手助け」が全然足りないけど、っていうかなんていうか、どストレートに言うけど、対策しないとそのうち本当に人が死ぬと思うんだけど。
※ 誤読を防ぐため追記(2021-3-2)
「手助け」が全然足りない=初心者がプロになるための手助けではない。初心者が続けるための手助けである。創作の明るく楽しい面におけるサポートは充実しているが、「創作物へ辛辣な反応が返ってくる可能性がある」など厳しい面への注意喚起・セーフティネットが無いことを危惧している。
また、それら創作のネガティブな面への耐性は本来ユーザーが身につけるものでnote社が責任を負うべきとは思わない。しかしミッションに「あらゆる人」の「手助けをしていく」とあり、その手助けの範囲がどこまでを想定しているのかが不透明だと感じている。
プロでもなんでもない私が偉そうに言うのもどうかと思うが、note社はユーザーに言えないだろうから書く。
noteで書いてるうちにプロになれちゃうかも?と少しでも夢見ている人は歯を食いしばれ。
そして、たとえプロにならなくても創作の街は銃社会である。
総員、心に銃を持て。
銃を持つ腕力がない人はカラストラガラさんの身の守り方を参考にすると良いかも。noteは「誰もが創作をはじめ、つづけられる」街。つまり銃撃戦の激しい地帯を避けて過ごすことができる街。
でもどんなに気をつけていても急に撃たれることはある。銃社会だもの。そのために #クリエイターの避難場所 を提案したのだから使って欲しい。
銃の扱いが下手な人は毒ガスを使いたがるけど創作の街に毒ガスはスマートじゃない。銃を上手く扱うために、ゆっくり、ゆっくり鍛えよう。
2021/4/7 追記:
著作権、誹謗中傷に関する注意喚起/対処法が記載された、note公式コミュニティガイドラインが発表されました。