見出し画像

アセクシュアルとクエスチョニング③

そんな風に書き出すと

「恋愛経験がないだけだ」

「男性恐怖症なだけじゃないか」

「それは経験不足なだけでLGBTとは関係ない」

などという意見が出てくることだろう。かく言う私もそうではないかと長く自問自答してきた。

ここで行動力のある人なら実際に恋愛をしてみようと異性にアプローチしたり、アプリを使って出会いを探したり、あるいは病院やカウンセラーにかかることだろう。

それ自体はとても素晴らしいと思うしそれで自分の性自認がはっきりと分かれば、次にしたいことへのフットワークも軽くなることだろう。羨ましくすらある。

しかしそもそもそんな意欲と興味すら沸かない人間が、自分の性自認を語るのはそんなに悪いことなのだろうか?

私は恋愛に興味はあるが異性という現実に存在する生き物をそこに当てはめた時、自分でも訳が分からないぐらいの拒否感がある。

友人あるいは知人仕事先の同僚上司、入ったお店の店員さんや道端を歩く人。

そんな普通に存在する彼らとは普通に個の人間として接することが出来るし、敬意も払えるし良き隣人として努めることが出来る。

だが恋愛対象にしろと言われた瞬間、なんともいえない不気味さと拒否感が沸き途端に適切な態度と距離感が分からなくなる。

万が一、もしかしてが、もしかしてが起こり、異性と一般的な恋愛関係になれたとして、一般的な恋人という存在にどうしてもつきまとう性行為というものが途方もなく不可能な事柄に感じられるのだ。

異性同士の性行為とはつまり、受け手側にしてみれば内臓を相手に無防備に明け渡す行為だ。

無理すぎる。出来る気がしない。したいとも思わない。自分の肉体に他者が入り込む、それはまさしく想像を絶する恐怖でしかない。

こんな高いエベレストのようなハードルを飛ばないと、一般的な異性間恋愛とは出来ないものなのか?もし神様がいたとしたら、二日酔いで倒れた便器に頭をぶつけて撒き散らされたゲロみたいに道筋が複雑過ぎやしないか。勘弁してくれ。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集