暴走 【モモのお話】
はじめに。
今回は「死」(特に「自死」)の話が出てきて、とても辛くて重いです。
とても長い話で、自分勝手な当時の私のことなので、
かなり不快に思われることもあると思います。
完全に自己満足で書くので、無理せず辛くなったら逃げてください。
そして本当なら忘れ去りたいお話を引っ張り出して書くので、
記憶が曖昧なところもあります。
私は当時、20代半ばの独身女性だった。
モモは、ひと回り年上で干支が同じ主婦だった。
私たちはニフティというパソコン通信サービスの中の、
とあるフォーラムで出会った。
フォーラムとは、
同じ趣味や共通のテーマを持つニフティ会員同士が集まって、
議論をしたり情報を交換したりする場のことをいい、
ニフティ会員のサークル的なエリアのこと。
例えば、好きなことが同じ人同士が、
自由に語り合える部屋的な場所で、
主に掲示板や、チャットルームがあったと思う。
私たちが出会ったフォーラムは、
はっきり言えば自殺志願者の集まりだった。
小さい時から「死にたい」とか「消えたい」とか、
ずっと思っていた私だった。
実際に中学時代、行動に移して失敗したこともあるけど、
そのことは家族も知らないことだ。
フォーラムに入った頃の私は、本当に死のうと思っていた訳ではなかった。
ただ「死にたい」とか「消えたい」と、言える場所が欲しかった。
それを裏で吐き出すことで、現実の世界で生きていけると思った。
それが分かっていたから私は、そこでモモが「死にたい」と叫んでも、
何も言わなかった。
だけどそこにはお節介で、ありがた迷惑な人もいた。
「死にたいなんて言っちゃダメだ」と言うその人たちは、
私たちにとってはただの荒らしでしかなかった。
表で吐き出せないから裏で吐き出そうとしているのに、
それを説明しても、どうしてもその人たちには伝わらなかった。
その人たちにとっては、
「死にたい人」を説得してる = 「正義」
なんだろう。
ただ自分に酔っているだけだと思った。
そのフォーラムは、誰でも自由に出入りできるところだったので、
私とモモと他に何名かは、居たたまれずにそのフォーラムを去って、
パスワードがないと入れないPATIOに移った。
PATIOとはフォーラムの小さい版だったけど、
PATIOの登録者に月500円の使用料がかかるものだ。
私はその登録者に立候補した。
PATIOに移った私たちは、まずルールを決めた。
PATIOの掲示板で「暴走」というタイトルで投稿したものには、
何が書いてあろうと絶対にレスをつけないこと。
そしてチャットルームで会っても、そのことには触れないこと。
ルールはそれだけだった。
私たちは毎日のようにチャットルームに集まって語り合った。
辛く重たい話もあったけど、大概が楽しい話だったと思う。
この頃のチャット内容や掲示板などのログを保存していたのだけれど、
そのフロッピーごとワープロ(パソコン通信用)も紛失してしまい、
本当に悔やまれる。
その場所は楽しくて、でも切なくて、
私にとっては無くてはならない場所だった。
それなのに私は、私の当時の悩み(今となっては思い出せない)を
ちゃんと話せずにいつもひとりで悩み、そして自己完結していた。
モモはそんな私のことに気づき、
「心を開いて」と、よく言っていた。
私にしてみたら、自分の悩みを自分で解決しているんだから、
誰かに話そうが話すまいが関係ないと思っていたし、
そもそも「心を開く」ということがどういうことか分からなかった。
そうして私とモモは、よく対立した。
周りの仲間たちは、たぶん静観していたと思う。
そして私は、だんだんとその場所に行かなくなっていった。
私は、しばらくその場を離れたらその間にみんなが心配するだろうと、
分かっていた。
でも私が戻って来た時には、きっとみんな歓迎してくれるだろうと
思っていた。
数か月経ったある日のこと。恐らく一年近く経っていたと思う。
その間、私はとある詐欺に遭い、その対応に追われて、
とてもPATIOに入れる状態ではなくなっていた。
ついでに言えば、今の夫と出会ったのもその頃だ。
私は、ふと思い立ってPATIOに入ってみようと思った。
きっとみんなが待っていてくれる。
きっとまた辛いことも楽しいことも語り合える。
そう思いながら・・。
読んでいなかった掲示板の書き込みを、
私がPATIOに入らなくなった頃から読み進める。
楽しい書き込み。
辛い書き込み。
そして私を呼ぶ書き込み。
しばらくして、モモの書き込みが無くなっていった。
そうしてモモを呼ぶ書き込みがつづいた。
そして数か月後、突然モモの書き込みがあった。
・・と思われたが、それはモモではなかった。
その人は、モモの弟だと名乗った。
そしてモモの弟だという人は、モモが亡くなったことを告げた。
モモは家の近所の川で亡くなっていた。
そしてその近辺に、大量の睡眠薬のパケが落ちていたそうだ。
私がこれを読んだ時、この書き込みから半年以上経っていた。
そして他の仲間たちはもう、誰ひとり居なかった。
私だけがポツンとひとり、取り残された。
これが本当の現実に起こったことなのかと、少し疑った。
そしてこれが本当のことならば、全てが私のせいだと思った。
私は泣くこともできなかった。
泣く資格もないと思った。
私はひとり、そのPATIOを削除した。
モモが好きだった谷川俊太郎さんの詩。
モモは、モモの帰るところに行けたのだろうか?
私は、生きることを選んだ。
モモは、実際にはひらがな表記の「もも」でした。
私の都合でカタカナ表記にしてしまいました。
始めに書いたとおり、この投稿は私の自己満足です。
当時の仲間と、モモのご家族には本当に申し訳ないことをしました。
ごめんなさい。
私はまだ生きています。
そしてこれからも生きて行きます。