子どもがいない私のこと①
私のことについて、語りたいと思います。
私は今年50歳になる主婦で、子どもはいません。
結婚して、まる22年。
妊娠すらしたことがありません。
子どもは、正直言って欲しくて欲しくてたまらなかったです。
当初、子どもについては自然に任せていました。
でも30代になり、いつまで経っても子どもができなくて、
焦り始めました。
その当時私は正社員として、とある会社で働いていました。
そこは私にとってはブラックな会社で、
私はうつ病になり、結局辞めました。
しばらくは傷病手当を貰い、うつ病の治療に専念することにしました。
その間、私は生きているのが辛くて辛くて仕方ありませんでした。
時を同じくして、私の大好きな親友が病気で亡くなりました。
この事は後にまた詳しく書くことになると思います。
私はそれまで、死ぬことしか考えられないでいましたが、
その子の分まで生きなけらばならないという思いに変わりました。
その後しばらくして、月経が遅れていることに気付き、
微熱もあるのでもしかしたらという思いで、産婦人科を受診しました。
結果、見事に勘違いでした。
せめて妊娠検査薬で確認すべきだったと反省しました。
そしてその病院で妊娠できない原因を調べてもらうことにしました。
すると私は、ちゃんと妊娠できる体だということが分かりました。
だとしたら、原因は夫?という考えにはなりましたが、
夫の体を調べてもらうことはしませんでした。
今思うと、この時にちゃんと調べてもらえば良かったと思うのですが、
なぜか私は、夫に負担をかけるようで言えませんでした。
うつ病も落ち着き、派遣ですが新たな仕事に就いて、
数年経っても、私には子どもができませんでした。
私は36歳になっていました。
それは仕事中、あと少しで休憩時間だという時に突然起こりました。
東日本大震災です。
すぐに会社の外に逃げたのですが、
揺れが強くて立っていられませんでした。
地面に少しだけ地割れができ、
揺れのせいで池の水が飛び出て、半分以上無くなりました。
夫に連絡をしようとしても携帯が繋がらず、
とても心配しました。
仕事はできる状態ではないので、急いで帰りました。
夫は無事で、他の家族も無事でした。
そして私の家は山の中だったので、津波の被害もありませんでした。
何とかひと安心したその後、
少しも予期しなかったことが起こりました。
福島第一原子力発電所の事故です。
それまで私は原子力発電所から家までの距離が、
こんなに近いなんて知りませんでした。
以前はあんなに綺麗だった山や田畑が湧水が、
放射性物質によって汚されました。
私たち家族は、避難を余儀なくされました。
住み慣れた福島県の東側の浜通りから、
県の真ん中の中通りに避難した私たち家族。
それからは、本当に生きるのに精一杯でした。
子どものことはずっと欲しかったけれど、
住む場所を探し、仕事をまた新たに探し、
ただただ日々生活することだけを考えざるを得ませんでした。
とりあえずの借り上げ住宅に住み、
生活にも慣れてきたある日のことです。
夫のお姉さんに子どもが産まれました。
すみません。長くなったので・・
というか、思い出すのが辛くなって来たので、
子どもがいない私のこと②に続きます。