宗教は必要?不必要?
おそらく、このような議論は日本だけでなく、世界中でなされてきたのではないでしょうか?
日本は仏教国とはいえ、どちらかといえば他の宗教に関しては寛大ですし、仏教色が強いとはいいながらも、日本人の3割ほどが「仏教」と答え、残り60数パーセントが「無宗教」と答えているようです。
日本人の中で議論すれば、意見は真っ二つに分かれることでしょう。おそらく結論も出ないでしょう。
私はあえて、先に自分なりの結論を述べておきます。
人間としてやっていいこと悪いことに関する哲学(道徳観)を持ち、自分で一生維持できる人の場合⇒宗教は不要
道徳観を持たない人や持っていても維持できない人⇒宗教が必要
私は、
宗教=人間に道徳を教えるための教材
ととらえます。
古代から人は、何かしら”心の拠り所”を求めていたのだと思います。そして、その道を示したのがイエス・キリストやガウタマ・シッダールタのような強力な指導者でした。以来長年宗教というものが存続しているのは、それを必要としている人間がいるからに他なりません。
今、多くの宗教がありますが、全ての宗教の根幹は、『人間としてやっていいこと悪いこと』を教えることにあるのだと思います。
逆に言えば、それを身につけ常に維持して行動できる人ならば、宗教は不要なのです。
大事なのは、その道徳観を持ったならば、決して道を外さないことです。
しかし、誠に残念ながら宗教を持っていても、持たないで道徳観を身につけていても、行動が伴わなかったり、あることがきっかけで道を外す人が沢山いる、ということです。いくら経典や聖書に書かれている言葉が正しくても、それを曲解したり自分の都合のよい言葉に置き換えてしまう人が後を絶たないのが現実です。
それが、人間の弱さというものをよく表しています。
また、道徳観が必要か不必要かすら考えず、大人になって迷子になっている現代人は多いのではないでしょうか?
今日本で報道されている様々な事件を見ればよくわかることです。犯罪者は、道徳心が欠如した人間ばかりです。人間としてやってはいけないことを簡単に踏み越えてしまう人が沢山いるのです。
その原因の一つに現代の教育そのものの問題があるのですが、、、そこは、話題にキリがなくなっていくので、割愛いたします。
未来永劫、宗教というものはなくならないでしょう。自分が生きる上で必要としている人は大勢いるからです。
宗教というのは、人間が”身にまとう防寒服のようなもの”と考えてもよいかもしれません。もし、身にまとうならば、雨風をしのぐことができ、身も心も暖まることでしょう。ただし、身にまとっていてもいなくとも、人間そのものが変わっているわけではなく、本質的には同じなのです。そして、身にまとうかどうかは、本人の意思に託されています。
現代は、古代から現代にいたるまでの様々な宗教書、哲学書などを容易に手にすることができます。その書物に触れ、人間として本当に大事なことは何なのか、生きるうえで必要な考え方は何なのか、一つ、また一つと身にまとっていくことで、自分なりの哲学を完成させていけばそれで良いのです。
さて、皆様はどちらを選んでいるでしょうか?
私は、不要を選びましたが、選んだからには一生の責任を持ち、自分なりの哲学・宗教を確立していきたいと思います。