耳は生きている。声は届いている。そう信じて、想いを伝えるべきやねん。
おはようさん。令和3年3月31日4時58分です。10分間、お父さんがいま感じていること、考えていることを書くよ。
人ってのは、死ぬ直前にはもう何もできんくなる。
歩くことは当然できんし、何かを食べたり飲んだりすることもできんし、目も開けられなくなる。こちらの声も届かないし、なにかを話すことももうできない。
お父さんはずっとそう思ってた。
でもね、そうじゃないらしい。
亡くなる直前まで、聴覚は保たれている、らしいんよ。つまり耳ね。聞こえているんだって、周りの声が。
これってね、お互いにとって、とっても救いやん、ってお父さんは思った。
家族はたくさん声掛けたらええし、かけるべきやねん。
自分の想いをね、とにかく声にして言葉にすること。これがとっても大事。言葉にして伝えることで、気分が少し晴れ晴れする。心の中にたまっていたものをすべて吐き出すことは、グリーフ(死別の悲しみ)をいくぶんか和らげてくれる。
あんとき、ああ言えばよかった。そんな悔いを残しちゃいけんのよ。
必ず耳は生きている。声は届いている。そう信じて、想いを伝えるべきやねん。
もうひとつ理由がある。
それはね、その声が、これからあの世界に旅立っていこうとする人の、大きな力になるはずってこと。
ひとりぼっちじゃない。みんなが囲んでくれている。これはね、大きな救いになるよ。
お父さん死んだことないけえ、実際にどんな感じなんか分からんよ。でもね、「死の直前まで聴覚は生きている」っていう仮説は、見送る方、見送られる方、両方にとってめっちゃ救いになると思うんよ。
「どうせ届かない」なんて思わずに、想いを伝える、声にして届ける。
これ、むっちゃだいじよ。普段だって、極限の時だって。
人は、想いやことばに生きる生き物やねん。
ということで、お時間です。今日は雅楽の演奏会の取材。カメラ片手に1日中走りまわることになるわ。足パンパンで帰ってくるわな。
今日は修行なしということで。ではではよろしく。
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