出産後を振り返って気づいたこと
出産する前は、産んだら何か変わるのかなあと漠然と思っていた。
産育休あけて戻ってきた激怖な先輩が優しくなったとか、時々聞く話でそう思ったのかもしれない。
実際には産んだところで急激に母性が開花するわけでもなく、まあ我が子は普通にかわいいけれど、私という人間に特に変化はなかった。生活スタイルは大きく変わったもののこんなものかな、という感じだ。
息子ももう少しで3歳。
母歴はまだまだ短いのだけれど、出産をふりかえると、急激と言わなくとも考えが変化した点がある。
世の中にはどうしようもない、身を任せることしかできないことが存在すること。
現代で普通に生活している分には、不快なものはたいていどうにかなったりする。
暑ければエアコンがあるし、若いうちの多少の不調は薬でなんとかなったりする。
夜になれば電気をつければいい。
有難いことにほとんど食べ物に困ることもないし、努力すれば報われるとも思えてしまう。
そうなると、世の中のほとんどのものがコントロールできると錯覚することがある。
特別そうは思わなくともそういう前提で生活していたと思う。ありがたいことに健康や環境に恵まれていたからではあるけれども。
ところが陣痛がきて赤ちゃんを出すまで、もう身を任せるしかなかった。一旦始まってしまえば、自然の力を前にして抗うこともコントロールもできないのだ。
本来はそういうものなんだなと思った。
自然の流れや力には抗えないのだ。
一緒にするのは違うかもしれないが、そういう意味では災害などもそうだと思う。
人間の意思の力なんてほんの小さなものだ。
過信しすぎなのだ。錯覚しているだけで、人間がコントロール出来るものなんてそうは多くない。
逆に考えれば、こうして平穏に生活できているのは、そうさせてもらっているんだと思う。
感謝するべきとまでは言わなくとも、謙虚でいるべきとは思う。
抗えない自然の流れの中で生きているのだから。
人間は本質的には人を求めていること
生きていくために子どもは他人を求める。他人とのアイコンタクトや、ふれあいを求める。
人が嫌いな人は一定数いる。生きていると色々あるから、かかわりを全て断ち切ってしまいたいと思うほど思い悩むときもあるかもしれない。けれども、もともとは人間は他人を求めている。
どんなに偉い人も、怖い人も、もとは他人とのふれあいを求める小さな子どもだったのだ。ここまでの間に色々あって怖い顔つきになっているけれども、本質はみんな変わりないのだ。
例外はあるかもしれないし、正解かはわからないけれど、以前よりも他人と関わるのが怖くなくなった。ここまでどの様な経験を経てこの人のこの姿にたどりついたのかということに思いを巡らせることが増えた気がする。
人間のもとの姿を見たからだと思う。
今まで他人を、他人とのコミュニケーションを必要以上に怖がっていた私にとっては、貴重な経験だったように思う。
急激には変わらないのだけれども、気づきはあったなあと思う。かといって、産まなきゃ分からないことかと言われれば、そうでもない気もする。
私にとっては、気づくタイミングだったんだろう。
何にせよ、人にやさしく、謙虚に生きたいものだなあと思う。