共感と理解を履き違えてる人とは 僕はできるだけ関わりたくない
共感と理解を履き違えてる人とは
僕はできるだけ関わりたくない
理解はするが違うという事をちゃんと心に留めていないと苦しむ要因になる。
「その人を理解」=「その人と同じ」 という考え方でいるとなにもかもおかしくなっていく。
理解というのは相違点から発生するものであると思う。 もちろん共感からも少なからず理解は生まれると思うが、多くは前者で本質的だと思う。共感=理解になっている人は、理解されたいと強く思っている傾向にあって、僕はそういう人が本当に恐いし、なるべく関わりたくないと思ってしまう 理解できないことを理解するということ。本当に気をつけなければいけない。根本的に人間というものは理解されたい生き物だと思う。日本の教育システム上、みんな同じじゃなければいけないという謎の概念のせいとかで、「理解」ということの理解が低くなっているのだと思う。僕が一番恐いのは、その恐い「理解」の概念の状態で素直で感情的なものをぶつけられて、僕自身もその人自身も違うベクトルの悲しみや怒り、感情を持ってしまうことです。僕はとても人の感情に左右されてしまうし、良い悪い好き嫌い関係なしにその人をできるだけ尊重したいので、人に対してどうこうしたいとか正直ないのですが、どこか寂しいなと思ってしまいます。だから僕はできるだけ関わらないように、どこか可能性のある場所で出会えますように。。。
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