付き合いを通して知った師匠の深い人間性~感謝と後悔~
はじめに
私には釣りの師匠がいた。
出会いは父が他界した後だが、家族ぐるみの付き合いをするようになって
数年後、距離感が近くなりすぎて耐えられず私から離れた。
母と同じ年で、私とは違い仲間が多く、その人たちとも一緒に釣りに行ったことがある。
今はもう会うことはないが、たまに思い出してはどうしているだろうと懐かしさがこみ上げてくる。
この記事では、そんな師匠との思い出について書きたいと思う。
師匠との出会い
師匠との出会いは、母が働く食堂に食べに来るようになったことから始まった。
最初は、母と食堂で話す程度だったが、話をしているうちに、師匠のお母さんの実家が、私の祖父の実家と隣だったことがわかり、家族ぐるみの付き合いが始まった。
私と親戚の人が一緒に釣りに行く約束をしたとき、一緒に道具の準備をした。
母が、「一緒に準備をやってもらったんだから、あの人も誘うのが常識だよ」と言った。
後日、誘ったら「行く」と言い、それをきっかけに一緒に釣りに行くようになった。
それまで一人釣行が多かった私は、やっと釣り仲間ができたと思った。
師匠の人柄
一時期、そんな師匠を嫌いになった時期もあるが、今振り返ってみると良くしてもらったことも多々ある。
竿やへらバッグをもらったり、私の家族と旅行に行ったりした。
私が障がい者なのは知っていたが、あまりにも職を転々としていたため、呆れていた面もあったと思う。
師匠は大会で優勝したり、何度も雑誌に出た過去がある。
仲間は多いし、何をやっても器用にこなすため羨ましかった。
私は全く日の目を見ないと落ち込んだ。
学生時代は年中ケンカしていて、19歳まで暴走族に入っていた。
師匠のお母さんは、組に入るのではないかと心配したらしい。
女性に生まれたかったと悩んでいた私は、「男だから一人で生きていけるようにならなくちゃな」とか、「男は我慢しなきゃいけないんだ」と言われることが嫌だった。
男の中の男だと感じていた師匠だが、ブラックジョークで笑いをとっていた。
私はそのブラックジョークが苦手で、釣りに行って、「2071(釣れない)」と言われたりした。
今考えてみれば、面倒見のいい人だったのかもしれないが、釣りに行くと、「そんなエサ食わねーよ」と言って、横から手を出されるのが嫌だった。
「言われたことを全部気にしていたら、病気になっちゃうよ」と言われたことがあるが、発達障害の特徴であることを理解して欲しかったと思う。
親元にいたころ、母と二人で会話のない時間が流れていたところに遊びに来て、ブラックジョークで笑いをとっていたが、今では、明るく生きることが大切だと感じている。
後悔と学び
今では会うこともなくなった師匠だが、後悔していることや学んだことがある。
それは、人から可愛がられる人間になった方が得だということだ。
いつまでも親元にいる私のことで悩んでいた母に対し、「ともちゃんなんてまだ素直なほうだよ」と言っていたこともあったようだが、一緒に釣りに行ったときの私は素直になれなかった。
アドバイスを受け入れられず、自分のやり方にこだわっていた。
いつしか、師匠もあまり手助けをしないようになったのだが、今思えば、とてももったいないことだと感じている。
私は、仕事の時でもプライベートの時でも、上手な人を認められないことがある。
それまでの経験が邪魔をしてしまうのだ。
今後、仕事でもプライベートでも、上手い人に出会ったら、敬うことを忘れずにいたいと思う。
最後に
師匠との思い出について書いたが、出会ったころは、面白い人だと感じていた。
父が他界したことや、私が統合失調症と診断されたことで家の中が暗くなっている中、笑いで場を明るく照らしてくれた。
今はもう会うことはないが、そんな師匠に感謝の気持ちを持ちたいと思う。
次回のヘラブナ釣りシリーズは、ヘラブナ釣りの魅力について書きたいと思う。