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大学3年生でラーメン屋を開業し行列店にしたが、スタートアップで挑戦する同世代に感化されSaaS事業を始め失敗し、最終的にラーメンD2Cブランドに行き着いた話


夢を語れという屋号を掲げておきながら夢を見失いブレにブレた話


2021年12月にMakersという大学生・大学院生対象、起業家・イノベーターのための学校。DeNA南場智子氏、Mistletoe孫泰蔵氏、ユーグレナ出雲充氏、ライフイズテック水野雄介などがメンターを努めるプログラムに応募し採択されました。

Makersに参加したことで本気で自分の好きなことに挑戦している同世代の友達がたくさん出来ました。


こんなにも熱く夢を語り実行し日々挑戦している同世代の人たちに感覚され僕も早く世界で戦える起業家になりたいと強く思うようになりました。

オープン直後は毎日を生きることに精一杯でしたがいつのまにか80%の力で回せるようになり、半年後には昼は都内のIT会社でインターンをしながら大学に通う余裕が出来ていました。

そんな中、一才出し惜しみすることなく全力で夢に向かって走っている彼らを見て自分が情けなくなりました。

今は若いしスキルを磨くみたいなスカしたことを当時の僕は言ってたので、、笑(たくさんやってるってのがカッコいいと勘違いしてました。)

大学に通いながら授業がない時間には日中ベンチャーで働き夜はラーメンをやる3足の草鞋を履いてることで満足してました。

本当に情けないです。どれも中途半端でした。

まずはリソースを集中させるべく大学を退学しました。(卒業が目的となっており目先の授業時間に目的を見いだせなかったため)

順天堂大学

次にITの会社を自分の担当プロジェクトが終わったタイミングでインターンを辞めました。

絞ったとは言っても何をしたいのかがなくずっと焦っていました。

焦っていても仕方ないと思い飲食が絡む海外のスタートアップの成功事例を徹底的にリサーチしました。

そして国内でまだ強者が存在しない市場を選ぶことにしました。
それが個人飲食店と卸業者間の受発注ツールです。


Vertical SaaS市場なら飲食の現場を知っていることが優位性に働くと思い国内の競合他社を模倣する形で後発で市場に参入しました。

夢を語れ千葉のメンバー×Makersで出会った東工大の友達とそのプロジェクトメンバー、計8人でチームを組み受発注ツールYOAKEを開発し営業をしました。

実際にさまざまな要因で上手く行かなかったのですが一番は僕がここに10年捧げる覚悟がなかったのが一番の失敗要因でした。


振り出しに戻り迷走していました。
その間も夢を語れ千葉の数字は上げ続けました。
結果をとにかく出すことフォーカスしオープンからずっと右肩上がりの経営はできました。
*最後の月は行列が途切れたのは1ヶ月の間でたった3回でした。


たくさん挑戦して失敗してたくさん悩んでてわかりました。僕は目の前の人を笑顔にすることが好きで、身体を動かすことが好きで、仲間に夢を語ることが好きで、戦略を練り実行することが好きなんだとわかりました。

イメージするなら高校サッカーのキャプテンが好きなんです。それを仕事にしたい。


それに気づけました。

ただ、普通にラーメン屋をやるのは嫌で、漠然としているけど世界一になりたくて、テクノロジーの分野も食の分野も両方携わってていたくて
なんでかなと考えれば幼少期の原体験がありました。


幼少期〜ラーメン屋になるまで


僕は兵庫県の淡路島で生まれ高校まで島で育ちました。


島はのんびりしててご飯も美味しく最高です。
浪人をきっかけに大阪に引越し大学進学で千葉に来ました。都会のお金持ちの家庭で育った人たちと触れ合う回数が格段に増えました。
毎シーズン旅行に行くのは当たり前、車を持ってる人も中にはいました。塾も行ってるのが当たり前でこんなにも差があるのかと衝撃を受けたのを今でも覚えてます。

僕は母子家庭で育ちました。幸いおじいちゃんとおばあちゃんが近所に住んでいたのとお母さんが子どもたちの成長を第一優先にしてくれる人だったので僕はサッカーもでき塾にも通わせてもらいました。(妹は塾には行っていませんでした。本当は行きたいけど遠慮していたのか行きたいと思っていなかったのかはわかりませんが、、。)

高校で本気でサッカーをしていたこともあり大学は全国レベルでやりたい気持ちがどんどん膨れていきました。
現役で受験に失敗しお金がないのがわかっていたのに浪人させてくれと親に頭を下げたのを今でもよく覚えています。
お母さんは笑顔でいいよと言ってくれました。(借金してくれたんだと知った時は涙が止まりませんでした。)

浪人中は勉強もサッカーもしないといけないのでバイトはしませんでした。
自分で社会人チームの門を叩き入団しました。

しかし現実は厳しく成績は伸びず冬を迎えました。自分にプレッシャーをかけすぎたせいか毎日勉強をし過ぎたせいか手が痙攣しペンを握れなくなりやがて顔が動かなくなり入院することになりました。なんとかセンター試験に間に合いましたが良い点を取ることができず筑波大学へ行く夢は途絶えました。

人生で一番努力したのに結果が出なかった。顔と手が動かなくなるくらい努力したのに届かなかった。
勉強のできる人からすればたかが勉強かも知れないが僕にはそれができなかった。

当たり前の基準が低かったのとスタートが遅かった。

サッカー、大学受験と今まで掲げてきた夢は全て叶えれなかった。
自信も失った。僕なんて何やってもダメなんだと思う時もたくさんあった。

浪人時代の挫折がきっかけで夢を持つことの大切さを知り大学に入ってからは蹴球部に所属し活動しながら夢を語るイベントを主催する学生団体を立ち上げました。

それがきっかけで夢を語れと出会うことになります。

修行は本当にきつかったです。
ここには書ききれないので当時書いたnoteを貼っておきます。

何回も逃げようと思ったけど、このまま終わりたくない、絶対に諦めなかったらいつか夢は叶うって自分に証明したいと思い踏ん張りました。

メンバー、家族、お客さんに支えられ無事卒業することができました。


ラーメンは全ての人が交わる接点になれる


先ほど、普通にラーメン屋をやるのは嫌で、漠然としているけど何かで世界一になりたくて、テクノロジーの分野も食の分野も両方携わってていたくて
なんでかなと考えれば幼少期の原体験がありました。と書きましたがここで話を戻すと

僕は所得格差における教育機会の格差を目の当たりにしてきました。
お金持ちの家の子どもたちは体験機会に比較的に恵まれてます。

何を言いたいかと言うと夢を見つけれる確率が高いんですよね。
色々な場所に行き、価値観の違う人と触れ合い、学ぶこれらの回数が多くなるので興味のあるものと出会う確率が跳ね上がるんですよね。

そしてやりたいことが見つかった時に比較的、制限がない状態で初めて見ることができます。

お金がないとできないこともあります。子どもたちが何かしたいと思ってもお金が足枷で口にしないような世界は作りたくない。

自分が当事者だったから痛いほどこの子どもの気持ちが分かる。

わがままを言いたくても言えない。親も子どもに対して申し訳なくなりどっちも辛くなる。そんなんんだったら言わない方がいいやという思考回路になる。

筋肉と一緒で〇〇したいって気持ちも使わなくなると落ちるんですよね。

僕が色々と挑戦して結局ラーメンに戻ってきた理由は言葉を選ばずに言うと

ラーメンはお金持ちも貧乏人も皆んな大好きであの空間(ラーメンを囲んでいる)だけは唯一皆んなが交わる場なのかも知れないと思ったからです。

そこで夢を語っている人がいたら今まで体験機会が少なかった子どもたちがもしかすると人の夢を聞いて夢が見つかるかも知れない。

もっとスポーツしたい、勉強したいと思うかも知れない。その次にもしかしたらお金の障壁が立ち塞がってるかも知れない。

そこでもラーメンはすごくいい。皿洗いをすればお金を稼げる。バイトのできない年齢なら僕たち大人が無償の奨学金制度を作ってあげればいい

そうすると僕は雇用を最大化させることに命を燃やせる。そしたら会社もでっかくなる。

テクノロジーを導入することにこだわるのは、エンジニアやデザイナーと言った本来ラーメン屋にいない人と接点を持てるから。

ただラーメンが好きで働いていた子たちが、もしかしたらエンジニアに憧れ勉強を始めるかも知れない。
肉体労働の要素もあるので体育会系の人も入って来やすい。様々な価値観を持った人と出会えることで子どもたちの人生に選択肢を増やしてあげれるかも知れない。

ラーメンとテクノロジーを掛け合わせたフードテックの分野なら子どもたちが夢を見つかるきっかけを最大化させれる。

(いや、今日から自社紹介の時にフードテックではなくラーメンテックと名乗ろう!笑)

そう思ったから僕はここに命を使うことにした。ようやく覚悟が決まった。

お金があるないことが良い悪いと言いたいわけではない。
今まで出会わなかった価値観が触れ合う時、人の夢は最大化すると思ったからそれをラーメン通じて実現したい。
それに僕は身体を動かしながら仕事をするのが好きという事も重なったからこれを選んだ。

淡路島で生まれ時には苦労もし悩んだおかげで今の僕がいる。

一番大切なのは「今」だと思ってる。
過去の意味付けなんて変えられる。今が良ければ良くなる。未来だった同じ今が充実していれば未来は希望で溢れる。逆に今を楽しめていないと未来に期待できない。

今を楽しむための道具として「夢」を使って欲しい。だから僕は店の壁に「Enjoy it now」〜今を楽しめ〜と書いた。


Tokyo Ramen Works 〜夢と雇用を最大化させラーメンの分野で世界一になる〜


Starbucksは人々にコーヒーとThird Placeを提供した。
だったら僕たちはラーメンを通じて人々にLaugh Tableを提供する。

「Laugh Table」


歳を重ねるにつれ人と食卓を囲み、笑いながら食事をする機会が減る。
さらに簡単・早い・便利が食の現代トレンドになりつつある現代、ラーメンを通じて人が集まるきっかけとテーブルに温かさと笑いを届ける。

スマホを触りながら食事をする人、いただきますとご馳走様を言わない人、飲食店を経営していると何気い普段の日常でこういった光景がすごく目に入ってきます。
そしてそれを小さな子どもたちは見ている。

食材に感謝をできる人に育って欲しい。食事は済ませるものでは楽しいものにしたい。そう言った個人的な思いも込められています。

ひと昔前の中華の出前とドミノピザをイメージしてみてください。

注文から30分以内で丼に入ったアツアツのラーメンを夢を追いかけるカッコいい若者が皆さんの元に届ける世界をまずは作りに行きます。

すぐに成功するとは断言できませんが、成功するまで諦める事なく走り続ける自信はあります。

まずはスモールでデリバリーに特化した形態で挑戦していきます。

随時、Twitterやnoteで進捗を発信して行きますのでみていただけると嬉しいです。

最後に夢を語れ千葉店主、深川智行「夢語ります!」

僕はラーメンテックの分野で世界一になる。

子どもたちに夢を与えれるそんなカッコいい大人、日本を代表する会社になっていきます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

これからもよろしくお願いします!



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