4歳息子の「さみしさを貯めるコップ」があふれた日
少し前の月曜日。
その日の息子は、なんだかご機嫌ななめだった。なんだかグズグズだった。
幼稚園に入園してから1年。すごくお兄ちゃんになって、一人でできることも増えて、前みたいにギャー!ってなることもなくなって「話せばわかり合える」みたいになっていたので、「今日はどうしたんだろう?幼稚園で何か嫌なことがあったのかな?」くらいに思っていた。
家に帰っていっしょにお風呂に入ったけれど、これまた久しぶりに「お風呂からあがらない」としつこくグズった。
「母ちゃんごはん作っとくから、遊び終わったら呼んでねー」と伝えて、私は先にあがってお風呂のドアをしめた。すると息子は、お風呂のドアを内側からバンバンバーン!とかなり強く叩き出した。
「そんな強く叩いたらドア壊れるからやめて!」
ちょっと強い口調でそう言うと、息子は急に大声で泣き出した。
ちょっと強い口調で注意するなんて日常茶飯事だし、いつもはそんな時もケロッとしているのに、どうして今日はそんなに泣くんだ?なんだかおかしいぞ?
そう思いながらお風呂のドアをあけると、涙をボロボロ流して本気で泣いていた。
裸でガチ泣きしている息子の姿に、胸がギュンとなって、バスタオルで息子をくるんでからギュッと抱っこすると、さらに大きな声で泣き出した。
「どうしたの?何かあった?」
そう聞いてみると、息子はあふれるように次々と話し出した。
「頭の中がさみしいでいっぱいなの。幼稚園はたのしいけど、ここに母ちゃんがいたらいいなっていつも思うの」
「土曜日と日曜日、いっしょにいっぱい遊んだやん。」
「母ちゃんとあそぶのがたのしすぎて、もっと遊びたいと思うの。本当は昨日の朝もあそびたかったの。」(※夜勤明けだったので日曜日の午前中は寝ていて、昼から遊びまし
た。)
「母ちゃん朝は眠たくてどうしても遊べないから、父ちゃんにあそんで!って言ってみたらどう?」
「父ちゃんもお仕事で疲れてるから。」
「昨日の朝は、父ちゃんといっしょにテレビ見てたんじゃないの?」
「いっしょには見てない。スイッチは押してくれたけど。」
そんな会話を交わし、そのあとも幼稚園で○○ちゃんに砂の山をつぶされたとか、嫌なことをされたのにあやまってくれなかったとか、ぼくはまだ遊びたかったのに先生はすぐにピアノを弾き出して(お片付けの歌?)遊べなくなるの!などなど、「グチる」という言葉がぴったりな話をたくさんしてくれた。
ひとしきりグチったあと、
「さみしいの、なくなった!」
と急に言い出して、
「ごはんたべよっか♪」
と急にケロッとして、私の心の方がついていかなかった。ふと時計をみると、お風呂からあがったときに6時を指していた時計の針が、6時半まですすんでいた。
30分くらいの間、泣いてグチって吐き出して、「さみしいの」が息子の頭の中からなくなったようだった。
3歳くらいまでは、さみしさを貯めるコップが息子の中にはまだなかったから、さみしさを感じた瞬間瞬間にギャー!と発散していたのだろう。
私とべったりな時期を終えて幼稚園に行きはじめて、たくさんの人と関わり始める中で「相手の気持ちを考えること」を学びはじめて、「さみしさを貯めるコップ」が息子の中にいつのまにか育っていたんだなと思った。
今日はきっとそのコップがあふれそうだったんだ。
そしてさっき、それがあふれてしまったんだ。
そして泣いたりグチったりしたら、そのさみしさがジャーと流れていって空っぽになって元気になったんだ。
だれかのさみしさを目で見ることはできないけれど、今日私の目には、息子のさみしさが見えたような気がした。
夜ごはんを作りながら、私は頭の中でグルグルと考えていた。
もっと息子と遊ぶ時間を増やした方がいいのかな?夜勤をやめた方がいい?減らした方がいい?父ちゃんに「疲れているのはわかるけど、うちが寝ている間だけでもいっしょに遊んであげて?」とお願いしてみる?もしくは「テレビのスイッチを押してくれるだけの人になってるで!」と危機感を感じさせてみる?というか、やっぱり兄弟がいた方がいいんだろうか?一人っ子はやっぱりさみしいのだろうか?
ケロッとニコニコあそんでいる息子のそばで、次は私がモヤモヤしていた。
でも、ハッ!と我に返った。
私にできることは
息子のさみしさを取り除くこと?
「息子がさみしさを感じないように!」と
私があたふたしたり、
がまんしたりすること?
きっとそうじゃない。
さみしさを含め、いろんな経験をしていろんな感情を思いっきり感じ切ることが人生の醍醐味なんだと、大人になった今思っている。
息子が感じたことは、息子のもので、
息子の人生を豊かにするものなんだと
信じたい。
息子のさみしさの原因が私だと知ると
胸が痛むけれど
私が息子のさみしさを減らすためにジタバタするというのは、ちょっとちがうような気もするのだ。少なくとも私は幼稚園についていくことはできないし、仕事を辞めてお金が入ってこなくなると困る。
母である私にできることはきっと、
今日みたいにコップがあふれたときに
安心して吐き出せる「場所」であるということだけなんだと思う。
そして、
息子のさみしさを隣で感じて
胸がギュンとなって
あたふたしてしまった私の気持ちも、
また1つ、私の人生を豊かにしてくれるものなんだと信じよう。
できあがった豚汁を、
2人で並んで食べて、汁まで飲み干した。
お腹が温かくて、幸せだ。
1時間前くらいまでは、2人ともぜんぜんちがう気持ちだったのにね。
その振り幅がきっと
生きることのおもしろさなんだなと
体で感じた。