旅行の醍醐味は、旅行のあと。
私は「旅行に行きたい!」と思うことが少ないけれど、たまに「非日常」を味わいたいなと思うことがある。
というわけで、家族旅行に行ってきた。
息子がもうすぐ3歳になろうとしていたときに「年に1回、家族旅行に行こう」と決めて、それは去年からスタートした。
第一回目に選んだのは「おもちゃ王国」。
1日目におもちゃ王国で遊び、おもちゃ王国の真横にあるホテルに泊まって、2日目もおもちゃ王国で遊んだ。
そして今回、
第二回目に選んだのは「舞洲(大阪)」。
パームガーデンという施設でグランピングをしてそこに泊まって、天保山まで10分くらい船に乗りレゴランドへ。最後に観覧車に乗った。
いつもとちがう場所に行って
いつもとちがう空気を吸って
いつもとちがう食べ物を食べて
いつも会わない人に会うと
もちろん、楽しいなって感じる。
でも私は家に帰った瞬間、
「やっぱりお家がいいな」っていう気持ちが
心の奥底から湧いてくる。
それは、どんなに大好きな人との旅行だったとしてもだ。
もしそう感じているということが、一緒に旅行に行った人に伝わったとしたら、その人はきっとなんとなく悲しいだろうなと思っていた。「旅行は楽しかったけれど、やっぱり家が1番だね」なんて言われるより、「あと2〜3泊したかったよ〜!」って言われる方がそりゃうれしい。
だから結婚する前に、当時の友達や彼氏と旅行に行ったあと、そんな自分の気持ちをまるで隠すかのように、「旅行たのしかった!」「ありがとう!」「また行きたい!」というような言葉をメールで届けていたのを覚えている。
第一回目の家族旅行のとき、息子はまだおしゃべりが上手じゃなかった。3人でちゃんとおしゃべりしながらの家族旅行は、今回がはじめてというわけだ。
息子の楽しそうな顔をたくさん見ることができた。私も旦那さんもたくさん笑った。旅行に行ってよかったなって思う。
旅行を終えて、満員電車に1時間くらいゆられて家に帰ってきたとき、私も旦那さんも正直ヘトヘトだった。
息子は帰る途中、ベビーカーに乗って寝ていた。1時間くらい寝て少し体力が戻った息子は、家に帰るなり一目散にいつも座っているソファにダイブした。
「お家だ〜♪あったかーい♪きもちいい〜♪」
そう言いながら、いつも使っているブランケットにくるまってニコニコしている息子の顔は、旅行中に見たどんな笑顔よりも幸せそうに見えた。息子ももしかしたら私に似て「お家大好き」「いつも通りが大好き」な人に育っていくのかもしれないなと思った。
その後、家の布団に包まれて、「やっぱりお家の布団が1番いいな〜」と言い合いながら、3人でぐうぐう寝た。
一緒に旅行に行って
一緒に同じお家に帰るのっていいなって
しみじみ思った。
一緒に非日常を味わって
一緒に日常に戻ってきて
みんなが何となくホッとして幸せを感じている様子を肌で感じる。
旅行はたまには楽しいけれど、やっぱり日常生活が1番幸せだなって、家族で確認しあっているような感覚。
私にとっての旅行の醍醐味は、
この旅行のあとのひとときなのだ。
朝になると、何事もなかったように朝ごはんを食べて、何事もなかったように日常に戻っていく感じも好きだ。
いつもと変わらない日常のように見えるけれも、旅行に行った後の日常は、ほんの少しだけ「新しい」感じがする。
いつもとちがう空気を吸って
いつもとちがうごはんを食べて
いつもとちがう場所で寝て
非日常を味わった私たちの体の内側は
少しだけ変化しているのかもしれない。
私にとっての「旅行」は、日常生活にちょっとだけ新しい風をふかせるものだ。そして、「やっぱり日常生活が好きだな」って再確認するものだ。だから、たまに、でいい。
でも「旅行好きな人」って
魅力的だなって感じる。
旅行が大好きで
いろんな場所にいって
いろんなものを食べて
たくさんの人に会って
新しいものを吸収して・・・
という友達がいた。
たくさんの素敵な写真や、めずらしいアレコレや、おもしろいエピソードを聞かせてくれて、それを聞くのはとっても楽しかった。その友達の表情はキラキラしていてまぶしかった。
だからといって、自分がそうなろうとしなくてもいいんだと気づいたのは最近だ。
連休前などに「連休は何するの?」とか「どこか旅行に行くの?」という会話は、女子の間ではワクワクする話題として定番だ。その質問をされると、なんだかどこかに行かないといけないような気持ちになっていた。
「何にも予定ないんだよね〜」とか「旅行行きたいんだけどね〜」って曖昧な返事をすると、「つまらない人」「充実していない人」に認定されてしまったかのような雰囲気を感じていたのだ。
でも最近は「いつもどおり過ごすよ〜」とか「いつもどおり公園いくかな〜」って返事をするようになった。
そう言うと、「そうなんだ〜!私はね・・・」と自身の楽しみな予定を話し始める人もいれば、「○○楽しかったよ〜」とか「○○行ってみなよ〜」とかオススメの場所を教えてくれる人もいる。私のことをよく知っている人であれば「知世らしい〜」って笑ってくれたりする。
「旅行は楽しいけど、旅行のあとが1番好きなんだよね。」
今度だれかにそう言ってみようと思う。
「わかる〜!」と言ってくれる人もいれば、「なにそれ〜!」と笑う人もいると思う。
それでいい。
それが会話の醍醐味だ。
共感してもらえると確かにうれしいけれど、自分とちがう感覚に出会えることも会話の楽しみなんだよねって最近思うのだ。
こうやってnoteに書いたり読んだりすることだってそう。
「わかる〜!」と思いながら読んでくれる人もいるだろうし、「私はそう感じないな〜」と思いながら読んでくれる人もいるんだと思う。
私だって「わかる〜!」と思いながら読むときもあるし、「私はそう感じないな〜」と思いながら読むときもある。
「その感覚わかるな〜!」とか「同じ感覚の人がいて嬉しいな〜!」という感覚は心地よい。そして「そう感じる人もいるんだ!」「そう考える人もいるんだ!」というような感覚は、その瞬間に自分の世界をグッとひろげてくれるような気がする。
自分の感じていることや、考えていることを、そっとnoteに綴る。
そのことが、誰かの世界をひろげることになるかもしれない。
そして少なくとも私はnoteを読むことで、世界がひろがっていく感覚を味あわせてもらっている。