#94 マネすると大ヤケドする可能性大の超強引な企画の通し方
テーマはプレゼンです。報道の世界、特に自分が記者をしていたときに、どういったプレゼンが必要になるのか。僕の場合は企画を会議にかけるときにプレゼンしていました。みなさんがテレビで見る、例えば3分、長ければ5、6分になる報道番組内での企画VTRですね。これをどうやって通すか、そこに専念していました。
特に4年間ニューヨークに駐在していたときは、4年という限定された期間の中でどれだけ多くの場所でどれだけ多くの経験をできるか。僕はそこにかけていました。だって、4年間アメリカで暮らせる、それだけでもすごいことですが、ニューヨークがカバーするエリアは北米・中南米、世界地図を見ると3分の1ぐらいカバーしているんですね。
この間にできるだけ多くのところに行きたい、そう思っていました。そのときの上司は女性の方。すごく面倒見てもらいました。どうしたら企画を通せるのか。一方で、衝突も繰り返していました。というのも、彼女はスペイン語と英語が堪能。ネイティブスピーカーばりに話せるんです。
中南米はスペイン語を公用語とする国が多いのですが、そういった場所での取材は、やはりどうしても彼女が行くことになる。でも、僕自身としても、4年間しかいられないから、僕だって行きたい。旅行では行きましたけれども、でも、やはり仕事で行けるとなると、これはまた別の話。普段だったら入れない場所だったり、そして何より、歴史的な事件・事故、そういったものを、ジャーナリストとして取材できる。やはり自分も行きたいわけです。
だからすごくたくさん喧嘩をしました。
マジで上司に「一生恨みます」
チリの鉱山事故、覚えてる方も多いと思います。33人の作業員が地下700 mに閉じ込められた。全員が絶望視されていたのですが、なんと全員生きていたことがわかった。
そこから救出作戦が始まるんですね。穴を掘ってカプセルを送り込んで、そこに乗ってもらって地上に引き揚げる。事故発生からなんと69日後に全員生還することになるのですが、その取材に彼女が行く、と。当時は世界中でこのニュースが流されていました。日本国内でもすごく関心が高かった。でも、僕は置いてきぼりになる。このときばかりはですね、さすがに譲れませんでした。
女性の上司に対して「この取材に僕が行けなかったら、一生恨みます」超真顔でいいました。
ひどい部下ですね、僕だったらそんな部下、本当にいらない(苦笑)でも、彼女はその僕の熱意といいますか、真剣な眼差しというか。これを受けて、東京に話をつけて一緒に連れていってくれることになりました。
そんな4年間の日々の中で、彼女から教わったのは企画を通す際にいかに外堀を埋めていくか、そして丁寧に埋めていくか。
企画を通すためのポイント
アメリカ国内で発見した面白いニュースであったとしても、それに対して日本人が興味を持たなかったら、日本で放送する番組なので意味ないですよね。だから、どういうところに、日本との繋がりがあるのか。そして、希少性があるのか。
日本のテレビ局として初めての取材、などといったキャッチーなタイトルが獲れるものであるならば、関心が高まりますよね。
そして、時流に乗っているかどうか。
例えば、今の場合ですと、円安、話題になっています。そうしたものに関連があるかどうか。
これらが複合的にうまく混ざり合って、説得力が生まれてきます。そして、彼女からは、原稿の書き方もものすごく丁寧に教えてもらいました。だから、振り返ると、本当に感謝しかないのですが、その後、僕はまるで恩を仇で返すようなことをしました。
日本メディア初!戦闘機でGO
アメリカ国内の取材も、すごく楽しいのですが、もうちょっと遠くに行ってみたい。取材をしていく中で、ボーイングの広報さんと仲良くなりました。
その方からある日、言われました。
「森下さん、トムクルーズになってみませんか」
いいセリフですよね。当時は日本の自衛隊が次世代戦闘機をどうするか、選定中だったんですね。ボーイングが手がけるのがF18戦闘機。これに乗れると、いうのです。しかも聞けば、日本のテレビの記者で乗った人はいない。
当時、航空自衛隊がその次期戦闘機として候補に挙げていた機種はF35、これはアメリカやイギリスなど9カ国が共同開発したもの。そして、FA18、これはアメリカの戦闘機。さらにヨーロッパ中心となって開発していたユーロファイター。この3機が候補になっていたのですが、そのうちの一つ、FA 18、これに試乗ができるというのです。それはぜひお願いしたい。
でも聞いたら、場所がドバイ。遠い。アメリカから遠い。なぜドバイかというと、ドバイで開催される航空ショーで、そこにFA18がやってくる。僕はそこで乗ることができる、というのです。
どうやったら上司の支局長に企画を通すことができるのだろうか、といろいろ考え2ヶ月ぐらいかけて準備をしました。まずはもう搭乗者リストに僕を載せてしまう。この人しかもう乗ることができません。そして、東京に話をつけました。
当時、戦闘機をどれにするか、まさに国内でもニュースになっていたので、先ほどのキーワード「時流」に乗っていますよね。そして、日本のテレビとして初めて戦闘機に乗る、これもまたキャッチー。東京はOKをだしました。「支局長とちゃんと話してね」という条件とともに。当時よく喧嘩してたのを、東京もし知っていましたから。
ここまで準備を整えてから、上司に「すみません。ちょっとお時間よろしいでしょうか」なんて言って、ソファーに一緒に座って
「実は、FA18戦闘機、日本のテレビ局として初めて乗ることができるようになりました」
と切り出しました。
「私そんなこと聞いてないわよ」
あの驚きの顔を見たかったんですね。最低な部下ですね本当に。
「どこなの」
「ドバイです」
「ヨーロッパの支局の人たちが行くべきでしょう」
「特別な繋がりでこの話を聞いて、期限が決まっていたので、まず先に自分の名前をお伝えして、それを搭乗者リストに載せてもらいました。そして、それが実は変更ができないんですよ」
いやもう最低な部下ですね。ここまでして外堀を埋めましたので、支局長としてもですね、わかった、としぶしぶ承諾してくれました。
このとき僕は「よしやったぞ、俺の力でここまでできた!」と喜んでいました。最低のやり方だったと思うのですが、会社全体からすれば、よかったことなのではないかな、と思っています。会社の利益にはちゃんと貢献してる、と。日本のテレビで初めてですからね。
そこまで僕を突き動かした原動力は、なんとしてでもどこか取材に行きたい。上司があんなに、あちこち行っているのだから、僕だっていきたい。そういう、いわゆる下心もあって突き進んでいったわけなのですが、この話、実は続きがありまして。
ドバイ行きにむけて準備をすすめていたある日、残念な連絡がありました。
「森下さん、ドバイの航空ショーにFA18が行かなくなりました」
「え」
理由を聞いたら、アメリカとしては、F35をどうにかして自衛隊に導入してもらいたかった。ここで日本のテレビ局が初めてFA18に乗る、ということになると、日本国内でFA18の知名度が上がり、F35の選定に影響が出てくるかもしれない。だから、僕を乗せないために、FA18をドバイに持って行くのをやめた、と。
僕はこのときに、これでアメリカ軍とは一勝一敗になったな、なんてことを思ったわけです。
北朝鮮が日本海に弾道ミサイルを発射してフジテレビの小型ジェットで着弾点を探しに行き、アメリカの空母から発艦した戦闘機に追われるような形で私達は日本海を撤退した話(弾道ミサイル舞台裏!フジテレビジェット機に米軍機出動騒動)を以前しました。
今回は僕がドバイに行こうとしていることで、戦闘機が引き上げた。だから1勝1敗。
そして上司に対しても、僕自身この取材自体は行くことが出来なかったけれども「輝かしい失敗」だと自分の中で思っています。
ちなみに、その後の関係なんですけれども、当時、散々喧嘩しました。彼女には息子さんがお1人いらっしゃるのですが「またもう1人子育てすることになるなんて思わなかったわよ」なんて言われましたが、僕自身は本当に思ってること全部ストレートにぶつけて彼女もストレートにぶつけてくれたからこそ、今は報道から離れていますが、自分が悩んでたり、不安に感じていたり、どうしても答えが見つからないときは、彼女に相談をさせてもらっています。
だから、本当に感謝しているのですが、多分読んでないと思いますが、この場をお借りして、当時の僕のあのむちゃくちゃなやり方を、心からお詫び申し上げたいと思っております(笑)
これってプレゼンの何か参考になったんでしょうか。強いて綺麗にまとめるとするならば「何事も熱意だ!」そんな感じではないでしょうか。
ちょっと乱暴かな。ということで、今日はプレゼンに関してお話をさせていただきました。
(voicy 2022年10月22日配信)
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