魚もうつ病になる話:散歩に行っといで?
記事の紹介
■ できごと
・水族館がコロナで営業停止
・魚たち元気なくなる
・ダイバーを水槽に潜らせるようにすると元気になった
■ 結論
・魚たち、うつ症状を示してた
・魚たちも人間たちを観察して楽しんでたから
以下、学びになったこと
これは「インプット」という言葉の解像度を上げるとても良い出来事だと感じたし、自分の中で一つ納得することがあった。
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意識の高い人達が「最近インプットしてないな」みたいなことをよく言う。
このインプットという言葉。
ここでは「有用な知識を取り込んでいない」という意味合いだったりすることが多い。
「価値のある情報」を取り込んでない、という意味で使われている。
ただ、実際のインプットはそうではないし、この誤用は事実を複雑にする(してきた)。
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「価値のある情報だ!」と判断するのは「入力→計算→判断」という過程があってのことで、本来はこの「入力」のフェーズだけをインプットとして語るべき。
言説としてなにか情報を得たりするのではなく、目の前を視覚情報が流れたり、匂いや空気を感じたりすることも十分インプットと呼べる。
つまり、難しい本をうんうん唸りながら読むのもインプットだし、
仕事に役立つカンファレンスに参加することもインプットだし、
気持ちの良い午後に散歩することもインプットだし、
流行りの恋愛映画を見ることもインプットだし、
ドライブで助手席に座っているだけでもインプットというわけ、
すべてはこの「インプット」の段階では等価値。
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ちなみにうつ症状というのはこの「インプット」に対して悲観的になることを指す。
いわゆる「何もしたくない!」状態。
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で、こっからが本題。
うつ症状は、上で語られたように「(単純な)インプット」を増やすことで癒やしてあげられる、というわけ。
僕は「魚たちには感情がある!」と云えるほどの知識もないし、あるいは人間にも同じく感情という聖域みたいなものがあるかは判断できない。
ただ、同じような神経システムを持っている生命体が「単純な情報入力(インプット)」を与えることで状態回復するのは面白い。
これは我々の生活における数多の問題の根幹にある「気持ちがノらない」「なんだか塞ぎがちになる」という人生における精神論的な問題のほとんどが
「散歩に行ってきな。
できたら遠く、見たことのない景色があるところがいい。
可能であれば、他人と天気の話でもしてみなよ」
というアドバイスで片付くということになる。