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5/13金:生き方の選択には活き活きとしたおじさんを。
私には、おじさんにはなりたくない、という願望がある。
これは、単に不老不死の状態でありたいなどという浅はかな願望ではない。不老不死など、まっぴらごめんだ。永遠に生き続けて死ぬことができないなど、考えただけでも恐ろしい。
人間は、いや、人間だけでなく生物一般は、死ぬことそのものに生物学的に重要な意味がある。それは、生物種の進化という特性を実現するために必要不可欠なのだ。詳しくは、以下の本を参照されたい。
おじさんにはなりたくない、というのは、生き方の問題だ。
ここで私が想定しているおじさんというのは、サラリードマン生活を続けて心が荒んでしまったおじさんのことだ。サラリードマンという生き方の全てを否定する気は全くないが、望まずにそういう生き方しか選べなかったのであるとすれば、それは悲しいことだ。
そして、私はそういう生き方を分かった上で、より自分らしく生きられる方を選択したいのだ。
望ましい自由というのは、単に何かから解放されている自由ではなく、選択し自己決定できることの自由である。私の昔からの「おじさん」という言葉で想起されるイメージが、企業に自由を奪われ、選択する自由さを持たないおじさんのことだったから、冒頭の発言に繋がるのである。
だから、私は歳をとっても「活き活きとした」おじさんでありたい。自分の本当にやりたいことができるように、アイディアと努力の力でそこにまで到達したい。
ありがたいことに、これまでの人生で、私の周りにはそういう活き活きとしたおじさんの方が多かった。というよりむしろ、そういう人のことを見て、そうでない人のことを見ていなかったのだと思う。
私は、そういう生き方に憧れるのだ。
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