4/28木:ボスとの飲み会には人生相談を。
研究室のボスを含めて久しぶりに飲みに行った。今回は参加した学生は私だけで、後は教員職の2名と、業界の有力者1名の計5名だった。初めは先生方どうしの業界トークで盛り上がっていたのだが、後半はありがたいことに私の人生相談の時間になった。
私は自分の悩みごとを誰かに相談するのが苦手だ。
より正確に言えば、苦手というよりも、そんなに意味が無いと思ってしまうのだ。なぜなら、相談した相手が言いそうなことを何となく予想できてしまうし、なんだかんだ言っても最終的に決めるのは自分なのだから、自分が意思決定しない限りは何の解決にもならず、結局それは誰かに相談するしないに関係ないのではないか、と思うからだ。
それでも、進路に関して今のところの自分の考えを話してみて、良い意味で軽いショックを受けたのは、その場にいた全員が、私がこの業界で生きていくことを特に期待していなかったことだ。むしろ、私が生きたいように生きることが最も望ましいことだ、と考えてくれていたのだ。
期待されないことというのは、一般的には悲しいことに見えるかもしれないが、私にとってはむしろ嬉しかった。それは私が、人の期待を背負ってしまうほどにプレッシャーを感じて生き辛くなってしまうタイプの人間だからだ。
現代日本では博士課程にまで進学する人間が圧倒的に少ない上で、安全工学を専門とする人間はその中でも圧倒的に少ないだろう。だからこそ、そこで学んだことを活かせるような何かをしなければならないのではないか、という暗黙のプレッシャーを自分自身にかけてしまっていたのだ。
だから、今回の飲み会では自分自身という存在がほとんど(業界において)期待されていないということがわかって、いくらか気が楽になった。
そして、色々な話をして意外だったのは、私の研究室のボスでさえも、何事にも自信を持って取り組んでいるわけでは無い、ということだった。私も含め、他の先生方はそのボスの素晴らしい人間性を心の底から尊敬しているのだが、当の本人にはその自覚が無く、自信もないとのことだったのだ。
大変恐れながら、そういう点は自分と似ている、と思ってしまった。周りの人はそう言ってくれていても、それが自分にとっての自信になるかと言えば、必ずしもならないのである。
今後の進路について皆様から様々な助言を頂いたが、やはり皆さんが仰ることは私の感覚と一致していた。それは、ある同じ環境に居続けることは停滞しか生まないこと、自分の対数関数的な成長曲線(これについては私も以前このブログに書いた)が停滞していると思ったら意識的に環境を変えて別の成長曲線に乗らなければキャリアアップ、ステップアップはないこと、などだった。
こうして有難いお話をたくさん伺った上で、この数年間、私の能力や性格や人間性を一番近くで見てきた准教授が、専門分野の用語を絡めて以下のように言った。
「君の場合は、リスクアセスメント的な考え方をもとにシナリオ想定して最適な解を選ぶ感覚よりも、クライシスマネジメント的な考え方をもとに、目的を先に決めてしまって、どうすればそれを達成できるかを考える方が良いと思う。」
そう言われてみれば、自分がワクワクするときってどういうときだっけ、という分析をした過去の記憶を思い出すと、それは確かにクライシスマネジメント的な感覚を持っていた時だったように思う。
台風の影響下で当初の予定が全て白紙になったキャンプを何とかやり抜いたこと。レポート執筆予定だった人が事情により急遽助けが必要になったときに自分が助けに入ったこと。
何かピンチが訪れたときに、それを何とかするために頭を使っているときに充実感を感じていたのではないか。
こうして自分に対する認識は少しずつ深まってきた。とすれば、後に残った大事なことは、何を目的とするか、なのだ。自分の人生において何を目的とするか、遠くに目指すべき旗を立てなければならないのだ。
参加していた業界の有力者が言ってくださった。
「自分が死ぬときに、周りの人にどう思われていたいか?自分が周りの人にどういう影響を与えていたいか?ということを考えることだね」
やはり、考えるべきこととして行きつくところは皆同じなのだ。
後は自分自身で自分だけの解を出すだけだ。
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