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3/13日:研究に向いていない人間には学位取得を。
人間はどうして自分自身が達成不可能な目標を掲げて、かつそれを達成できないことによって落ち込んで自信を失ってしまうのだろうか。それは、理想の自分に到達したいという希望に対して、自分自身のタスク処理速度や成長速度などが自分の想定よりも遅いことに由来する。
では、もっと現実的な目標を立てればよい、ということになるだろうが、そうすると私の場合は、仮にその目標が達成できたとしても満足感を得ることができないだろう。なぜならそれは、自分自身が本気で望んでいることではないからである。
私にとっての真の喜びがどこにあるかなど、正直言ってわからない。自分の機嫌を自分で取ることほど難しいことはこの世にないと思っている。だから、とりあえず自分の能力を押し上げることを目標に生きてきた。
しかし、この生き方には際限が無いのだ。客観的指標として与えられる能力の1つに、学位というものがあるだろうが、それを仮に取ることができたら私は一体どうなるのか。
一方で、私にとっては正直、研究者という生き方は向いていないと思う。根元のマインドセットとしては、サラリード・パーソンとしての生き方の方が性に合っていると思う。
この1年間の取り組みについて、「研究に向いていない人間が学位を取れるのか?」という達成不可能性の高いチャレンジだと思うと同時に、もし学位が取れたとしたならば、やっと自信が持てるのではないか。
それは、向いていないことをやってもある程度は達成できる、向いていることをやればもっと成果が出る、という解釈が可能だからだ。
そしてその力を持って、自分の生きやすい世界を自分の周りに作り出すのだ。
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