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7/10日:活き活きとした大人には思考を。
人生を楽しんでいる大人は、活き活きとしている。
自分が大人になってしまうことに対して、どこかイヤな気持ちがしていたのはいつ頃からだっただろうか。
小中学生のとき、高校生のとき、電車に乗っているときに同じ車両に乗っているスーツ姿の大人たちを見て漠然と、「あぁ、日々の仕事で疲れ切ってしまっているこういう大人にはなりたくない」と思っていたような気がする。
なぜなら、彼らは見るからに活き活きしていなかったからだ。自分もいずれこういう人たちの仲間入りをしなければならないのか、と思うと、気持ちが暗くなった。確かに、仕事の前後の電車に乗っているときの様子だけでそれを計るのはおかしいかもしれないが、どこかそういう空気感を感じてしまったのだ。
だから私は、どうせ大人になるのなら、しょうもない大人にはなりたくない、と思った。仕事への行き来だけで人生を使ってしまうような、普段関わっている子どもたちが見て希望を持てないような、過去の自分自身に見せるのが恥ずかしいような大人にはなりたくない、と思った。
当時の私が見ていた大人たちは、企業組織など、フレームのようなものの中で生きている大人たちだったのかもしれない。そして、自分自身もそのフレームの中で生きていくことだけを想定していたから、先ほどのような思考になってしまっていたのだと思う。
しかし、今現在のフレームを少し飛び出してみれば、そのフレームの外でも、いやむしろフレームの外だからこそ、しっかりと活き活きと生きている大人たちが確かにいる、ということがわかってきた。
そして、恐らくそういう彼らの共通点は、「思考している」ということだ。
既存のフレームの中にいれば、そのフレーム部分については思考停止しやすいものだが、仮に今現在は主にフレームの中で生きているとしても、そのフレームの内部を変えようとしたり、そのフレームの外部について思考が及んでいたりする。
人間らしく活き活きと生きていくためには、思考停止に甘んじてはいけない。思考することこそ、活き活きと生きるための第1歩になるのだ。
そう考えてみれば、私は人間らしく活き活きと生きるための素養を既に備えているはずだ。それは、これまでの人生でも様々なことを考えてきたし、毎日毎日、日々考えたことについて文章を書き続けているからだ。文章を書くということは、思考することそのものだからだ。
だから、自信を持って自分の人生を活き活きと生きていけばいいのだ、と思った。
ただし、私の場合は色々なことを考え過ぎるところもあるから、もう少し気楽に生きてもいいのかもしれないが。
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