小さな一歩 みんなにやさしい社会
今日は最近読んで面白かった本のレビューです。
みなさんは、「人新世の「資本論」 斎藤幸平著」をご存知でしょうか?Amazonのベストセラー1位になり、本屋さんに平積みもされているので、目にした方は多いのではないでしょうか。
わたしが斎藤幸平さんを知ったのはYoutubeきっかけでした。
この動画で、この本面白そう!と思い購入に至ったわけです。
さて、ここ数年毎年のように日本は大雨の災害に見舞われていますよね。私が気候変動やばいんじゃないかなと本気で思うようになったきっかけです。
この10年間が気候変動危機は勝負といわれて、多くの人が危機感をもって行動を起こしています。とくに20代30代が、自分自身の問題として取り組んでいます。
人新世の「資本論」では、気候変動危機だけではなく、なぜわたしたち多くの人が貧しいのかということも説明していて、とても興味深いです。
これらの問題(今身近で頻発しだした気候変動危機と大衆の貧しさ)は経済や政治の面で深く関わりあっていて、著書には解決のための道しるべが示されています。
少し脱線しますが、私たちは親の収入を超えられない世代なのだそうです。わたしの経験談ですが、新入社員で手取りは20万円以下。家賃・食費・光熱費と毎月の固定費は高く、趣味に使えるお金は5万円も残らない。これって必死に働いているのに世の中の仕組みとしておかしいよね、と考えていました。そんなことも明確にしながら話は展開します。
さてさて、本題に戻しまして、わたしが人新世の「資本論」の中で、1番衝撃を受けたのは、「生産」の考え方でした。
この部分が、個人が取り組む気候変動危機対策としてまさに目から鱗でした。
どういうことかというと、今まで私は自分が環境にやさしい商品を選択する(エコバッグを使う、へちまたわしを使う、オーガニックコットンを選ぶ、自然電力に切り替えるなど)ことで、つまり消費行動で気候変動危機を乗り越えようとしていたのです。
スウェーデンのグレタさんは、システムそのものを変えようといいます。つまり今までの経済至上主義・特権階級至上主義では、ほんの一部の人の利潤と引き換えに多くのモノやヒト(自然環境・労働)が直接目には見えない形で収奪されていました。
この本の中では、どのようにシステムを変えることができるか、明確に描かれています。
つまり、消費行動だけでは不十分で、生産や管理についての民主的な意思決定をしていくというのです。このもとになっている考え方が、「使用価値」です。
例えば、水道事業を公営から水メジャーの経営に民営化してしまうと、水メジャーは莫大の利益を上げる一方、住民は水道料金の値上げに苦しみます。資本主義という弱肉強食の今のシステムから、みんなの貧しさ(金銭・物質・環境)をなくすために必要なモノを生産し分配する。
これだけ聞くと社会主義?と思うかもしれませんが、全く新しいものです。
そしてこれには、私たちひとりひとりが市民として地域で声を上げ、コミュニティを形成していくことで成し遂げることができるのです。
気候変動危機に興味がある人だけでなく、今の経済・労働環境に不満がある人にもおすすめの一冊です!
せっかく買ったけど、難しく読み進められなくなったそこのあなた。大丈夫です。大学で経済を習っても難しかったです。でも安心してください!
ぜひ第6章から読んでみてください。この本のいいところが詰まっていますよ!
最後に私のお気に入りの部分を引用してご紹介します。
「ラディカルな潤沢さ」が回復されるほど、商品化された領域が減っていく。そのため、GDPは減少していくだろう。脱成長だ。
だが、このことは、人々の生活が貧しくなることを意味しない。むしろ、現物給付の領域が増え、貨幣に依存しない領域が拡大することで、人々は労働への恒常的プレッシャーから徐々に解放されていく。その分だけ、人々は、より大きな自由時間を手に入れることができる。
安定した生活を獲得することで、相互扶助への余裕が生まれ、消費主義的ではない活動への余地が生まれるはずだ。スポーツをしたり、ハイキングや園芸などで自然に触れる機会を増やすことができる。ギターを弾いたり、絵を描いたり、読書する余裕も生まれる。自ら厨房に立ち、家族や友人と食事をしながら、会話を楽しむこともできるようになるだろう。ボランティア活動や政治活動をする余裕も生まれる。消費する化石燃料エネルギーは減るが、コミュニティの社会的・文化的エネルギーは増大していく。-中略ー
私たちは経済成長からの恩恵を求めて、一生懸命に働きすぎた。一生懸命働くのは、資本にとって非常に都合がいい。だが、希少性を本質にする資本主義の枠内で、豊かになることを目指しても、全員が豊かになることは不可能である。
だから、そんなシステムはやめてしまおう。そして脱成長で置き換えよう。その方法が「ラディカルな潤沢さ」を実現する脱成長コミュニズムである。そうすれば、人々の生活は経済成長に依存しなくても、より安定して豊かになる。 第六章