記録 11月30日・そして、高野山
30日。今回の旅のスタートでありハイライト、高野山。
7時半の特急に乗るために、6時起床。割とスッキリ目覚める。
朝風呂入って、湯垢離。チェックアウトして、高野山への路線、南海なんば駅へ。特急券もスムーズに買えて、コーヒー買って構内へ。ラピートいてアガる〜!
先頭車両で人だーれもいない!もう完全、旅モード。
少し山っぽい風景になってきて、乗り換え。観光仕様の車両もうれしい。
どんどん山を上がっていく。黒部峡谷鉄道思い出すような山間の風景を走る。
極楽橋、もうちょっとゆっくり見たかったけど乗り換え時間が3分しかない。
急いでケーブルカー。話には聞いてたけどめっちゃ急勾配!箱根もぬるく感じる。何パーミル??
車内とても凝ってて、完全に観光鉄道。
あっと言う間に、高野山駅。
ここでのバス乗り継ぎもスムーズすぎて、駅舎撮ってる時間もスタンプ押してる余裕もなく出発。まあでも、ということは、本日最大の目的地・奥の院でゆっくり過ごせるということだ。
そのために近くで選んだ宿坊に荷物を預けて、いざ奥の院へ。
正式参拝で、一の橋から。お大師さま、お迎えに来てくれてるかな。
参道最初の方に、伊達家の墓所。東北勢としてはここは軽くご挨拶を。
続々と有名人の墓所。武田信玄あって、近くに謙信のもあるはずだけど見落とした??
二本松藩!めっちゃ地元!
企業創業者エリアはお墓も企業名入り。
参道は歩きやすく、多少の起伏はあるけどほぼ平坦。
巨木や苔生した石など、自然の様子も楽しみながら歩ける。
中の橋までは人がほとんどいなくて静かだった。鬱蒼とした木立の間から差し込む光に空気も清冽で、とても心地が良い。良い場なんだなあと感じる。
現に、これだけお墓があるのに、霊的にヤバそうなところは見かけてない(もしかしたら奥にあるのかもしれないけど)。
これがお大師様のお力??結界的な??
夥しい数の墓所を見ながら思う。
ここは日本のエルサレムだなあ。
お側で眠りたい、復活のときを近くで待ちたいという思慕の共通点。
エルサレムはけっこうヤバめだったけど、もしかしたら自然の多さ少なさが関係してるかもなあとか思いながら中の橋を越すと、人も増えてきて、見どころ的なものも増える。
水かけ地蔵とかもやりたいけどそういうのはあーとーで。
そしていよいよ御廟橋。この先に、お大師様が在わす御廟。
まずはご挨拶に向かう。
薄暗い明かりの中に読経が響く灯篭堂で一拝し、御廟へ。
蝋燭を点し、手を合わせる。
ずっとずっと、来てみたかった高野山。お大師様の御前。
やっとここまで来ました。再訪したがっていた父も連れてきました。
灯篭堂に戻り、受付で供養申し込みをする。
戒名を伝えながら、向こうではこの名前なんだなー、施主さまと言われて、そっか私施主なんだなーとか思う。
いま途中から参加するか、次回にするか聞かれて、読経最初から聞きたいから次回にする。
そうこうしてるうちに生身供(しょうじんぐ)の時間!
小走りで戻ると、ちょうどお味見を終えたところ。さっと木箱に御膳をしまい、流れるように木箱を担いで歩き出していく。
そのスピードが、早い。。。!
普通に歩いてると置いてかれるので、競歩くらいの気持ちで後を追う。
灯篭堂で、お大師様の御影の前に御膳が置かれるところまで確認。距離もあるし暗いしで、それ以上はわからなかったけど、本当に召し上がってるんだなあ。
見れてよかった。
この間耳に入ってきた読経は、やはり皆ご供養のようで、戒名や御入寂何月何日〜と言っているのがわかる。皆お大師様に導いてほしいんだね。
お大師様のお昼ごはんを見届けたので、私もごはんw
このあと読経だし、コンビニおにぎりだけど買っておいてよかったー。
お接待所でお茶をいただき、お大師様に見守られながらおにぎりを頬張る。
すごいでっかい釜でお湯沸かしててびっくりした。
ひと息ついたところで、御朱印をいただいたり、水かけ地蔵で先祖供養をしたり。
塔婆を書いてもらう時に、珍しい名字ですね〜と言われ、少し話を。毎日もう10年以上も書いてるけど、まだ知らない名字の方がいらっしゃるとのことで。日本にはどのくらいの名字があるんでしょうね〜と。
そうこうしてるうちに読経の時間。11時半、2回目の回。
お堂の中に上がると、案内された場所は、距離こそあるけど御廟の正面。
そしてどうやら、今回はうちだけの模様。
なんとありがたい。。。
お勤めをしてくれる僧侶?僧正?の方が来てくださり、流れを説明してくれて、戒名、俗名の確認などののち、法要開始。
鐘?銅鑼?金属の音が鳴り、声明が始まった。
!?!?!?!?
・・・・・めっっっちゃ上手・・・・・!!!!!
さすが奥の院の灯篭堂で供養読経できるクラスの人。不遜だが、正直本当にびっくりした。
声明そんなに聞いたことないけど、それでも上手いんだってわかるレベル。
これだけ上手だったら、きっと父もうれしいよね。
しみじみと。
本当にありがたいなあ。。。
と、今日のこの供養の環境に心からの感謝が溢れてきた。
まるで父の、私のための時間のようで。
父の俗名、戒名などが読み上げられ、焼香。
目を閉じ、合掌していると父が隣にいるようで。
いつものジャケット着てにこにこして、お堂の中こうなってるのかあ、いやーすごいなー、とか言ってそう。
そうだよなんでいないんだよ。
これ何してもらってるんだっけ?供養?供養ってなんだっけ?
えーっと、、、ってことは、死んじゃったってことじゃん。
そうだった、これただの旅行じゃなくて弔い旅。
しかも、今日で完全に向こうに行っちゃうんだよね?
突然、涙がこみ上げる。
お大師さまぁ……………
父、死んじゃったよおーーーーーーーーーー!
唐突に訪れた悲しみ。
堰を切ったようにぼたぼたと涙が零れる。嗚咽が抑えられない。
声を上げて泣きたかった。
今までもまあまあ泣いたし悲しかったけど、やらなきゃならないことが多すぎて、悼みに浸る時間はなかった。
ここにきて初めて、その不在を実感し、ようやく自分の悲しみを見ることができたんだと思う。
もう少し生きていて欲しかったと思うのは、完全に生者のエゴだ。
私の場合それは、もう少し支えて欲しかった、という意味になる。
要は、精神的な自立ができていなかったのだ。
不思議な温かさをずっと感じていた。焼香台も近くはないのに、額と背中がとても熱かった。
お大師さまがヨシヨシしてくれたのか、それとも父かな。
滂沱の涙を流しながら。父はこれで、本当に旅立ったんだ、と奇妙な感覚があった。
それは充実感のような、虚脱感のような。
私は子どもだった。
ずっと父の「子ども」でいたかった。
そのことを自覚して、私の長かった子ども時代は終わった。
本当の「自立」が始まったのだ。
全てが終わり、僧侶の方が声をかけてくださった。
涙が止まらない私にゴミ箱も持ってきてくれた。
いろんな思いがおありでしょうけれども、と仏の世界の話を少ししてくださった。
今日が四十九日なんです、というと、向こうの世界に行かれる日ですね、と。お大師様がお導きをしてくださってますね、と。
落ち着くまでどうぞ、と言っていただき、しばらくの間呼吸を整え。まだ涙は止まらないけど、もう一度焼香をしてお堂を下りた。
再度、御廟の前へ。
お大師様に御礼。
ここに来れたこと、そして御前で父の供養ができたこと。
しばらく、ただ手を合わせて、涙も流れるに任せて。
どのくらい経っただろうか、気づいたら涙は乾いていた。
大きな目的を果たして。
なんだか本当にこれで区切りなんだなあ、と感じた。
父のためにできることがなくなってしまったような気がして、少し寂しさは残る。
父の記録、としてのnoteもここで区切りにする。
法要のときとか何かあったときは記録はするけど、私の心の旅としてはもう区切りがついた。
まだ旅は続くけど、というかこの日もまだ半分あるけど、ここからはもう私のための旅だ。
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