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何も思わないなら、どんなにラクだったろう【note感想文】
今回のnoteは、「あなたの渾身のnote、応援します!」企画にご応募いただいた、髙塚しいもさんのnote感想文です。
▽企画概要note【2/14で受付終了】▽
▽今回、感想を書かせていただいた、しいもさんのnote▽
note公式の「本日の注目記事」にも選ばれた しいもさんの記事!
もうホントいいお話過ぎるので、ぜひまだ読んでいない方はぜひ!
なお、その際には周りにご注意ください!
*わたしは、うかつにもオープンカフェで読み始めてしまい、普通に号泣していました(笑)
もう、わたしがどうこう言うまでもなく、ただただ感涙必須の大傑作なので、内容に関しては特にわたしからは言及しません!
今回の企画が「批評ではなく感想なのでお許しください」というのと、解説不要なくらい素晴らしい作品なので、ぜひ読んでもらえたらと思います!!
そして、素晴らしい作品に触れさせてもらうことで、個人的な想いがどんどん出てきたので、ちょっとテイストを変えて感想文を書いていきます!
*しいもさん、素晴らしすぎるnoteの感想が内省系の話になってしまってすみません💦
父は語尾を伸ばして、うしろに「💛」をつけて、いつも私を呼んだ
しいもさんのこの表現、痛いほど伝わりました。
なぜなら、わたしも末娘に対して、正にこれだからです。
そして、それだけなら微笑ましい家族像でしょう。
ですが、こうしているときにわたしが感じるは、心の奥のほうにある鈍い痛みです。
末娘に対してではありません。3人兄弟の真ん中となる長女の存在でした。
3人の子どもたちのなかで、長女がわたしと一番感性が近いというのは、昔から思っていることです。ですが、わたしと長女は、顔を合わせては喧嘩ばかり。わたしが末娘と仲良くしているときほど、そんな光に照らされて”影”となる部分が、わたしのなかで浮き彫りにされます。
少し話は変わりますが、子どもたちが小学生の頃、集団登校に同行するタイミングがありました。みな真面目くさったような顔をしています。そのとき思ったのは、「子どもたちの笑顔を奪っているのは、疲れた顔を見せ、希望を見せていない大人ではないか」ということでした。
ちなみに、この主張は、当時出会ったある方にまったく共感されず、「まぁ、相手はまだ若いし、環境的にわからないのもしょうがないか」と割と終わってる反論を心のなかでしていたのを思い出します。
確かにそういう側面もあったかもしれません。ですが、これはわたしのほうにも原因がありそうです。
主語(主題)を大きくしているから、本質がわかりにくいだけでした。いや、ごまかしていたと言ってもいいかもしれません。
つまり、「子どもたちの笑顔を奪っているのは、自分なのではないか」という想いがわたしを苦しめていたことに気づいたのは、この出来事があってから数年経ってからでした。
家族として描く姿
わたしは一人っ子でした。
高収入を実現した父。田舎のしがらみを捨て、長男という立場でありながら家を出た父の行動力は本当に尊敬しています。
ですが、主に母が相手ですが、”相手”の背景を汲み取ろうとしていない(ように感じる)コミュニケーションは本当に嫌です。
自分の話は聞いてほしい・わかってほしい。でも、相手の話や真意をわかろうとしない、調べようともしない姿勢が嫌いです。
わたしは、自身の長男とも何度もやり合いました。悪いことをしては色々なものを制限し、わたしのパートナーは彼に何かを期待することを諦めた時期もあります。それでも、「正しくなくても、お前なりの筋を通せ」と言い続けてきたのはわたしです。
多くの紆余曲折を経て、結果的に長男は過去の清算も終え、わたしたち両親からも信頼され、中学校で精力的に活動しています。
ですが、それは結果論であり、長女も同じように行くとは限りません。他方で、わたしが子どもたちに望むのは、自分が想い描く道を、希望を持って前向きに進んでほしいということだけです。
そう考えると、長男と末娘はわたし、長女はパートナーを主担当して分担するのも悪くはないかもしれない。そんな風に最近は思うようにしていました。
悪く思ってほしくない。できたらよく思ってほしい。
そんな原初的な願いは、距離が近くなるとどうしてこんなに難しいのでしょうか。
父に対しても、家族だからこそ悲しい想いをしてほしくない。その背後にあるのは、コミュニケーションやリテラシーの低さから来る「孤独」だとわかるからです。
だから、完全に放っておくこともできません。ですが、これは自分軸で考えれば、自分がそこに引っ張られ過ぎるのも違うように思えます。「母がかわいそうじゃないか」という高校時代からの想いも、これもまた「課題の分離」として捉えていいものなのかもしれません。
長女のことも、家族ではありながらも、よりよい方向に行けばと思うことを試行錯誤し続ける。でも、やはり、長女の人生は長女のもの。親の勝手な想いを背負わせるやり方はわたしが最もやりたくないものです。
ですが、思うのです。
自分を押し殺すわけでもなく、わたしがもっと上手い言い方・伝え方や立ち回りができれば、もっと笑顔が溢れる両親との関係だったり、子どもたちみんなが笑顔になってくれるのではないかと。
ちょうど昨日、noterさんの家族の悩みを聞いていました。わたしは、「家族に過剰に引っ張られることなく、自分軸で自分の幸せのために生きたら」と心のなかでは思っていました。
*相手のご状況が部分的にはわからなかったのとアドバイスを求めているかも見えなかったので、発言にはしませんでした。
正直、こうして文字にすると、だいぶ親であり子どもに肩入れしているし、自分ゴトとしてしょい込みすぎているかなとは思います。それは、HSP気質×ENFJ(主人公)だからなのでしょうか。
ただ、結果ではなく「あがき続けること」が人生だと決め、PDCAを回し続け少しでも理想に近づくことこそ、わたし自身が大切にしたいことで、心地いいことだと知りました。
でも、そうして、そのときそのときで必死に考えてきたからこそ今があると思いますし、だからこそ、過去に戻りたいという想いは、「またあれをやるのか」と思うとすぐに書き消されます。
▽この部分は、Temppさんの感想文で触れています。
ですが、しいもさんのお話と同じように、わたしの七五三の写真に写っている両親に似てきました。いえ、よく考えると年齢だけなら今のわたしのほうが上です!
小さいころのわたしが、ビビりながらカタツムリを手に乗せている写真は、もう今の子どもたちよりも幼くなりました。
自分を責めすぎることはしない。でも、諦めない。グルグルとした想いを書き連ねながら、最後にわたしらしく締めることができて、本当にホッとしています。
しいもさん、本当に素敵なお話をありがとうございます!
「家族」について、いつもより踏み込んで考えらさせていただきました!!
また、改めて、双子ちゃんを含む、5人のお子さん、ほんっとうにいつもお疲れさまです!!
お父さんのエピソードはもちろん、素直になれないことの遺伝。でも、それをちゃんと汲んであげて、思いっきり泣ける環境を用意してあげるお話も個人的にかなりスキです。
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