【現代欧州王室】王といえば…イギリスだけじゃない!(全文無料)
「外国の王様」といわれると、未だに強いのはイギリスのエリザベス女王であろうか。しかし既に故人であり、今はその息子で長らく王太子だったチャールズが国王となっている。
この記事では、欧州における王国(君主国)とその王(君主)を、旧王室も併せて紹介する。
続いて後継者や前任者、相続法と継承法に関しても触れる。
また、王国の成立と退位した後の処遇も併せて紹介する。
用語=長子相続制…男女関係なく、最年長の子供を後継とする相続制度。
この文章ではヨーロッパのどこが君主国で、どこが王族を認めているのかを書きます。
<現存君主国>
※先述の通り、欧州に限る。また、国連に認められた国家。
*イギリス王国
現国王:「環境対策王Climate King」チャールズ3世(在位2022-)
後継者:長男ーウィリアム王太子(称号・ウェールズ大公、代々の王太子はこれを名乗る)
相続法:2013年王位継承法により、長子相続制を採用。これ以降に生まれた者に適用される。
継承法:1701年王位継承法により、事実上ステュアート家の血を引くハノーファー選帝侯妃ゾフィーの子孫に限られる。
前国王:母ー(崩御)エリザベス2世(在位1952-2022)
現王朝:ウィンザー朝
現王家:マウントバッテン=ウィンザー家
王国等の成立:前身のウェセックス王国は6世紀の建国、王家は1066年のウィリアム1世から。1707年に正式名称「グレートブリテン王国」となる。
退位した王の処遇:不明(スキャンダルで終わったエドワード8世は公爵殿下とされた)。
備考:英王位継承順位は王室外まで及び、500位まで定められている。また王は英連邦王国の諸王位を兼任し、英連邦盟主でもあり、国内のランカスター公国を統治し、ノルマンディー公の名目でチャネル諸島などを統治する。
*デンマーク王国
現国王:フレゼリク10世(在位2024-)
後継者:長男ークリスチャン王太子(称号・デンマークのモンペザ伯爵)
相続法:2009年王位継承に関する憲法改正により、長子相続制を採用。これ以降に生まれた者に適用される。
継承法:1953年王位継承法1条「王位はクリスチャン10世と王妃アレクサンドリーヌ・ア・メクレンボー=シュヴェリーンの子孫によって継承される」
前国王:母ー(退位)マルグレーテ2世(在位1972-2024)
現王朝:リュクスボー朝(グリュックスブルク朝)
現王家:モンペザ=リュクスボー家?
王国等の成立:936年頃に即位したゴーム老王が海を渡って国土の原型を創った。
退位した王の処遇:在位時と同じ称号(マルグレーテ女王は国家元首ではなくなったが、現在も正式には女王=Dronning)。
備考:欧州最古の王家。男王は代々、「クリスチャン」と「フレゼリク」の統治名を繰り返す。現国王のモットーは「国がため団結し、この身を捧げん(原語・Forbundne, forpligtet, for Kongeriget Danmark )」
*スウェーデン王国
現国王:カール16世グスタフ(在位1973-)
後継者:長女ーヴィクトリア王太子(称号・ヴェステルイェートランド女公)
相続法:1980年王位継承法改正により、欧州で最初に長子相続制を採用。遡及して適用され、それにより当時は王太子だった長男(第2子)カール=フィリップが廃太子され、改めて第1子で長女のヴィクトリアが王太子となった。
継承法:王位継承法1条
「ヨハン=ハプティスト・ユーリー王太子(後の国王カール14世ヨハン)の男女の子孫に帰属する」
前国王:祖父ー(崩御)グスタフ6世アドルフ(在位1950-73)
現王朝:ベルナドッテ朝
現王家:ベルナドッテ家
王国等の成立:スウェーデンの初代王は諸説わかれるが、外国のヴァイキングを退治して影響を排し、国体を打ち立てたエリク勝利王(970年に即位)とみる。
退位した王の処遇:不明(近代以降、現王朝で前例なし)。
備考:現国王は父が早世したために王太孫として祖父から王位継承。また欧州で最も長い在位期間を誇る。また、王家の出自はフランスの平民階層から。
*ノルウェー王国
現国王:ハーラル5世(在位1991-)
後継者:長男ーホーコン王太子
相続法:1990年王位継承法改正により、長子相続制。ただし経過措置として、1971-89年の期間に生まれた成員は男子相続とする。
前国王:父ー(崩御)「国民王Folkekongen」オーラヴ5世(在位1957-91)
現王朝:グリュックスブルク朝
現王家:グリュックスブルク家
王国等の成立:872年に即位したハーラル1世の統一事業を始まりとするが、中世半ばに王家は絶え、1905年に改めて再独立、選挙で王制になりデンマークのカール王子がホーコン7世として即位。
退位した王の処遇:不明(近代王国制では前例なし)。
備考:デンマーク王家の同族分家にあたる。現国王はヨーロッパで最長老。
*スペイン王国
現国王:フェリペ6世(在位2014-)
後継者:長女ーレオノール王太子(称号・アストゥリアス女大公、代々の王太子はこれを名乗る)
相続法:1830年継承法改正により、男子優先だが女子にも認める(準サリカ法)。現国王には娘しかいない。
継承法:準サリカ法。憲法57条「王冠は、王朝の歴史的で合法的相続人であるフアン=カルロス1世の子孫に継承されるものとする」
前国王:父ー(退位)フアン=カルロス1世(在位1975-2014)
現王朝:ボルボン朝(第三次復古)
現王家:スペイン=ボルボン家
王国等の成立:諸説。①アラゴン王フェルナンドとカスティーリャ女王イサベルが君主となり、夫妻が連合統治を始めた1479年。②グラナダ王国を支配した1492年。③初代の連合王であるカルロス1世が即位した1516年。④連合王国制から中央集権を進めたフェリペ5世が即位した1700年。
退位した王の処遇:名誉国王(原語・Rey emérito)陛下となる。
備考:フランス王家ブルボン家の支流(「太陽王」ルイ14世の孫から)。フアン=カルロス1世はスキャンダルによる支持率低下を受け退位、のちアブダビに亡命した。
*オランダ王国
現国王:ウィレム=アレクサンダー(在位2013-)
後継者:長女ーカタリナ=アマリア王太子(称号オランニェ女公、代々の王太子はこれを名乗る)
相続法:1983年王位継承に関する憲法改正により、男子優先制を廃して長子相続制。現国王には娘しかいない。
継承法:憲法24条「王権は初代国王ウィレム1世とその正当な後継者によって保有される」
前国王:母ー(退位)ベアトリクス(在位1980-2013)
現王朝:オランニェ=ナッサウ朝
現王家:オランニェ=ナッサウ家
王国等の成立:①1568年にオランニェ公ウィレム1世が独立戦争を開始、1648年承認。②ウィーン会議で王国になり、オランニェ公ウィレム6世が国王ウィレム1世となる(当時はルクセンブルク大公も兼任)。
退位した王の処遇:ベアトリクス前女王は王女(Prinses)殿下となる。
備考:現国王の即位まで、男子相続人に恵まれず女王が3代続けて君臨していた。
*ベルギー王国
現国王:フィリップ(在位2013-)
後継者:長女ーエリザベート王太子(称号・ブラバント女公、代々の王太子はこれを名乗る)
相続法:1991年王位継承に関する憲法修正により、長子相続制。遡及して当時の王アルベール2世の長女とその子孫に継承権が与えられた。
継承法:憲法85条「王の憲法上の権力は、初代国王レオポルト1世の嫡子の系統による」
前国王:父ー(退位)アルベール2世(在位1993-2013)
現王朝:ベルジック朝
現王家:ベルジック家(サクス=コブール家)
王国等の成立:1830年革命により初代国王レオポルド1世が推戴され、オランダからの分離独立が承認。
退位した王の処遇:公的には国王(Sa Majesté le roi)陛下となる。
備考:国内ではフランス語・ドイツ語・オランダ語が話されており、民族も異なる。
*ルクセンブルク大公国
現大公:アンリ/ハインリヒ(在位2000-)
後継者:長男ーギョーム大公世子(称号・ナッサウ公)
相続法:2011年にアンリ大公の命で改正、認知された結婚により生まれた者(婚外子は婚前出産では継承権なし)での長子相続制。
継承法:憲法3条「大公位は、1783年6月30日の条約、1815年6月9日のウィーン条約第71条、1867年5月11日のロンドン条約第1条に準拠し、ナッサウ家の血筋に継承される」
前大公:父ー(退位)ジャン/ヨハン(在位1964-2000)
現王朝:リュクサンブール/ルクセンブルク朝
現王家:パルム=リュクサンブール家
大公国等の成立:963年のジークフリート伯爵の文書に地名が初出。中世ルクセンブルク家は皇帝の外戚であり、神聖ローマ帝国などの王朝を輩出したが1437年に主家は断絶。ウィーン会議で大公国となり、オランダ王が兼任することになる。1890年にオランダ女王即位により分家の公を迎えて分離独立。
退位した大公の処遇:公的には「大公(Son Altesse Royale le grand-duc)」殿下となる。
備考:成員はブルボン=パルム公子を名乗ることができる。これは現大公の祖父がイタリアのパルマ公家から婿入りをしたためである。また、1代限りで神聖ローマ皇帝(ローマ王)となったナッサウ家のアドルフは直系先祖。後継者ギョーム大公世子が国務代行に任じられることが決まり、近く譲位するという見方が強まっている。
*モナコ大公国
現大公:アルベール2世(在位2005-)
後継者:長男ージャック大公世子
相続法:2002年大公位継承法の改正により、男子優先ではあるが女子にも継承権を容認した。
前大公:父ー(逝去)レーニエ3世(在位1949-2005)
現王朝:グリマルディ朝
現王家:グリマルディ家
大公国等の成立:①フランソワ・グリマルディが1297年にモナコ地域を占領。②1419年、南イタリアのナポリも支配していたアラゴン王国から正式な統治者と認定される。1861年、条約により国土の95%を割譲するも大公国として主権回復。
退位した大公の処遇:不明(近代以降の前例なし)。
備考:モナコ大公の継承権保有者が消滅した場合、昔の条約によってフランスに併合される。現大公アルベール2世の祖父はフランス王国期に宰相を出したポリニャック家から婿入りしたピエール公子である。また、現大公アルベール2世には認知した庶子が2人いる。
*アンドラ大公国
現大公:(歴史的経緯により、スペインのウルヘル司教とフランス大統領の2人による共同大公)
🇪🇸ウルヘル司教にしてアンドラ共同大公ジュアン=エンリク(在位2003-)
🇫🇷フランス大統領にしてアンドラ共同大公エマニュエル/マヌエル(在位2017-)
後継者:それぞれの役職の後継者。後任司祭とフランス民選による。
相続法:1993年憲法に記載。
前大公:(引退)🇪🇸ウルヘル司教ジュアン=マルティ(在位1971-2003)、(辞任)🇫🇷フランス大統領フランシスコ/フランソワ(在位2012-17)
現王朝:(特性上、なし)
現王家:(特性上、なし)
大公国等の成立:元々はフランク王カール大帝の設置したスペイン辺境領の1つ。1278年の宗主契約により共同統治が定まる。1607年のフランス王アンリ4世の勅令で大公国となる。フランス王制の滅亡後は、共和制元首が兼任することとされた。
退位した大公の処遇:元の地位に戻る。
備考:フランス革命の間は、ウルヘル司教のみが単独大公であった。なお現フランス憲法では君主制移行を認めない。
*リヒテンシュタイン侯国
現侯爵:ハンス=アダム2世(在位1989-)
後継者:長男ーアロイス侯世子(称号・リートベルク伯爵、2004年より父に代わり元首代行者)
相続法:建国から変わることなくサリカ法に基づき、男系男子継承。
継承法:サリカ法。
前侯爵:父ー(逝去)フランツ=ヨーゼフ2世(在位1938-89)
現王朝:リヒテンシュタイン朝
現王家:リヒテンシュタイン家
侯国等の成立:神聖ローマ皇帝カール6世の家庭教師だった5代侯アントン=フローリアンにより、1719年に自領をリヒテンシュタイン侯国として帝国諸侯に参加。
退位した侯爵の処遇:不明(近代以降の前例なし)。
備考:見方によっては現存する神聖ローマ帝国の領邦国家と看做すこともできる。一族はオーストリア国籍も保有し、50名以上の男子成員がいる。またリヒテンシュタインに初めて侯爵が在住したのは1938年以降である。なお、日本では英語「Principality」をそのまま「リヒテンシュタイン公国」と訳しているが、建国の経緯とドイツ語表記に従うと「リヒテンシュタイン侯国」の方が正しい。
*バチカン市国(ローマ教皇国)
現教皇:フランシスコ<羅語・フランシスクス>(在座2013-)
後継者:(なし、指名できない)
相続法:80歳未満の枢機卿らの「コンクラーヴェ」により選出される。選挙君主制。
継承法:選挙君主なのでなし。
前教皇:(退座)ベネディクト16世<羅語・ベネディクトゥス16世>(在座2005-13)
現王朝:(特性上、なし)
現王家:(特性上、なし)
国家等の成立:①756年にフランク王「ピピンの寄進」により教皇領が成立。②アヴィニョン捕囚やナポレオン戦争などにより主権を喪うことがあったが、1814年のウィーン会議で復活。③イタリア統一運動には志願兵が奮戦するも併合される。④1929年のラテラノ条約により、バチカン市国として主権復活。
退位した教皇の処遇:「名誉教皇(Pope emeritus)」聖下となる。
備考:第二バチカン公会議の結果などにより、その反発から対立教皇を名乗る者が現在でも複数名いる。
<旧君主国>
※ここで記載するのは国などから公的に何らかの形で認められている場合のみ。
※また、当主が「王太子」を名乗るのは、王制ではないゆえ即位をしていないためで、その範囲内で家内において名乗ることが許されているため。
*ルーマニア王室
現当主:マルガレータ(当主2017-)
当主の称号:ルーマニア王冠の守護者陛下
後継者:妹ーエレナ王女
相続法:2011年に家内法を改定し、女性当主を容認。
国などの認可:2001年に国家から旧王家の地位を認証され、活動費が公費から付与。のちルーマニア王室当主は国家元首と同等の待遇を保証された。
王朝名:ロムニエイ朝
現家名:ロムニエイ家(ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家)
王国等の成立:①現地貴族のアレクサンドル・ヨアン・クザが1862年に統一されたルーマニアの公として元首になるも、保守派の圧迫で退位させられ、代わりにホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家のカロル侯子が迎えられる。②1881年に王国として独立宣言、カロル1世が即位。
王国(王制)の廃止:共産党により脅迫され、1947年にミハイ1世が退位して亡命。
帰国:1992年に一時帰国、1997年に市民権回復。
備考:マルガレータ陛下はルーマニア政府の黙認のもと、独自で外交などを行っている。またマルガレータ陛下の父ミハイ1世の庶兄の子孫が王位を請求している。
*ブルガリア王室
現当主:シメオン2世(当主1943-)
当主の称号:元国王陛下(次代からは「王冠の守護者陛下」を希望している)
後継者:孫ーボリス王子(称号・タルノヴォ公…歴代の王位継承者が名乗る)
相続法:基本的には男系男子。
国などの認可:帰国後、政界に進み「シメオン・サクスコブルクゴツキ」の名で2001-05年に首相に。またブルガリア正教会は「ブルガリアのツァール・シメオン2世」と祈りを作成した。
王朝名:(ザクセン=コーブルク=)コハーリ朝
現家名:サクスコブルクゴツキ家
王国等の成立:①初めバッテンベルク家のアレクサンダル1世のもと、1879年にブルガリア公国が成立。しかしクーデターにより亡命したまま逝去。②その後の摂政期を挟み、ザクセン=コーブルク=コハーリ家のフェルディナンド1世が公に迎えられる。そして1908年に王国として独立宣言。
王国(王制)の廃止:共産党により脅迫され、1946年にシメオン2世が退位して亡命。
帰国:1996年に帰国し、西側社交界の人脈でブルガリアの外交を補弼。
備考:シメオン2世は欧州において第二次世界大戦を経験した存命している最後の国家元首経験者である。
*ギリシャ王室
現当主:パウロス2世(当主2023-)
当主の称号:王太子殿下
後継者:長男ーコンスタンティノス=アレクシオス王子(称号・スパルタ公?…歴代の王位継承者が名乗る)
相続法:基本的には男系男子。
国などの認可:パウロス2世の父で、廃王コンスタンティノス2世の晩年に王室の帰国を黙認。しかしコンスタンティノス2世に国葬は認めず。また王室は市民権を回復していないため、ギリシャ国籍の復活も議会で議論中。
王朝名:グリクシンブルグ朝
現家名:グリクシンブルグ家
王国等の成立:①オスマン帝国の衰退をうけ、1833年にバイエルン王子をオソン1世として国王に推戴して独立。しかし諸問題により1862年に退位。②代わってデンマーク王子ヴィルヘルムが迎えられ、1863年にゲオルギオス1世として即位。
王国(王制)の廃止:対共産党のための軍事クーデターによりコンスタンティノス2世が亡命後、1973年に廃止。
帰国:1981年、2004年に一時帰国。2013年に帰国。
備考:デンマーク王家の同族分家にあたり、成員はデンマーク王子/王女の地位も持つ。また、イギリス王チャールズ3世の父フィリップ王配の実家でもある。
*アルバニア王室
現当主:レカ2世(当主2011-)
当主の称号:王太子殿下
後継者:(推定)長女ーゲーラルディネ王女
相続法:男子継承だが、改定の可能性あり。
国などの認可:2002年に現当主の同名の父レカ1世が帰国した際に、「王室家長」として特認された。またレカ1世はその後、政治活動をしていた。
王朝名:ゾグ朝
現家名:ゾグ家
王国等の成立:政治家アフメド・ゾグが列国を後ろ盾につけて1925年に大統領に就任、その後1928年に王政へ移行し、自らゾグ1世として即位。国家の近代化と国内イスラム教の世俗化を果たした。
王国(王制)の廃止:1939年のイタリア侵略によりゾグ1世と王家は亡命。アルバニア王位はイタリア王が兼ねたが、戦後に共産党政権となると王制廃止。
帰国:レカ1世は1993年、97年に帰国しようとしたが、王制支持者の暴動となり退去。2002年に帰国を許可された。
備考:アルバニア王室は欧州王室では珍しく現地発祥であり、また唯一イスラム教徒の王室である。
*セルビア王室
現当主:アレクサンダル2世(当主1970-)
当主の称号:王太子殿下
後継者:次男ーフィリップ王子
相続法:基本的には男系男子。セルビアで生まれた者。
国などの認可:「王室家長」の地位を国家から2001年に認められ、市民権回復・財産返却をうけ、旧王宮に在住している。
王朝名:カラジョルジェヴィッチ朝
現家名:カラジョルジェヴィッチ家
王国等の成立:①豚屋の肉商人だったカラジョルジェらが独立運動を指揮するが、別の肉商人だったオブレノヴィッチの独立戦争によりオスマン帝国が妥協して、1815年に彼を公とするセルビア公国が成立する。②1882年にミラン1世が王国として独立を宣言。③カラジョルジェヴィッチ家とオブレノヴィッチ家の2つの家から王が出て、王位を巡り暗殺が相次ぐが、カラジョルジェヴィッチ家が世襲することに成功する。
王国(王制)の廃止:1945年、共産党は国王不在のまま廃位および王制を廃止した。
帰国:1991年に帰国。
備考:欧州王室では珍しく、アルバニア・モンテネグロと並んで現地発祥である。当主の長男ペータル王子は相続を放棄し、合意により次男フィリップが後継者となった。
*モンテネグロ王室
現当主:ニコラ2世(当主1986-)
当主の称号:王太子殿下
後継者:長男ーボリス王子(称号・グラホヴォ=ゼータ大公)
相続法:基本的には男系男子だが、改定の可能性あり。
国などの認可:2011年の帰国と同時に、モンテネグロ政府代表(儀礼上)の立場を認められた。また、かつての王太子宮殿に在住している。
王朝名:ペトロヴィチ=ニェゴシュ朝
現家名:ペトロヴィチ=ニェゴシュ家
王国等の成立:①元はモンテネグロ司教公国として神権政治を敷いていた。しかし1852年にダニーロ1世は世俗公として転換した。②その甥のニコラ1世が1910年に王国として独立宣言。
王国(王制)の廃止:第一次世界大戦時にオーストリア=ハンガリー侵略により国王ニコラ1世が亡命、戦後もモンテネグロはセルビア王国に占領され帰国できず、王制廃止。
帰国:2011年に国家から招聘され公的帰国。それ以前にも1980年代から、本業の建築家として一時帰国することがあった。
備考:息子ボリス王子には娘しかいないため、相続問題が潜在的にある。
*ポルトガル王室
現当主:ドゥアルテ3世ピオ(当主1976-)
当主の称号:王子殿下、ブラガンサ公殿下
後継者:長男ーベイラ公アフォンソ王子
相続法:基本的には男系男子だが、女子にも相続権があり女王が君臨したこともある。またポルトガルで生まれた者。
国などの認可:2019年のポルトガル議会で、国家の儀礼的代表の地位を与える法律案が提出。
王朝名:ブラガンサ朝
現家名:ブラガンサ家
王国等の成立:元はフランス王家カペー家の分家カペー=ブルゴーニュ公の息子アンリ(エンリケ)がイベリア半島に渡り、レコンキスタに従軍。その息子のアフォンソが1139年にカスティーリャ=レオン王国から独立し、ポルトガル王国を建国。他国と連合した時代もあったが、王家は基本的にフランス王ユーグ・カペーの男系子孫である。
王国(王制)の廃止:自由選挙とその後の共和革命により、1910年に王制廃止。
帰国:1950年に王族追放令が撤回され、1952年に両親ら家族と共に帰国。
備考:ドゥアルテ3世ピオは若い頃、植民地だった東ティモールに対し「民族自決」による独立を提案し、後押しした。
*バイエルン王室
現当主:フランツ1世(当主1996-)
当主の称号:王子殿下、バイエルン公殿下
後継者:弟ーマックス=エマヌエル公爵(バイエルン公Herzog in Bayern)
相続法:サリカ法による男系男子継承。
国などの認可:旧バイエルン王家の資産(土地や財産など)の保有を認められている。
王朝名:ヴィッテルスバッハ朝
現家名:ヴィッテルスバッハ家
王国等の成立:神聖ローマ皇帝の直臣ヴィステルスバッハ伯オットーが1180年にバイエルン公に封される。皇帝の外戚となり、また2人の皇帝を輩出した。三十年戦争やバイエルン継承戦争を経て、ナポレオン戦争中に王国昇格を果たした。
王国(王制)の廃止:第一次世界大戦後のドイツ皇帝退位に伴い、その構成する領邦君主と共に退位した。
帰国:なし。ナチスによって強制収容所に送られた以外はバイエルンに在住。
備考:ヨーロッパ初の同性パートナー(約50年の交際)がいる王室当主。弟マックス=エマヌエル王子にも男子はないため、次には遠縁のルイトポルト王子が継承する。
(※かつてのドイツ領邦諸侯の1つとして例示。他にもプロイセン王室やザクセン王室もある)
※他には歴史的経緯(宗教間対立)により、現存君主国ではイギリスとスペインには複数の対立王派が、旧君主国ではフランスとロシアなどでは膨大な請求権(当主)の主張者がいる。
≪投稿者からのお願い≫
この記事は1万文字(数え方にもよりますが)に達し、普段出していた同人誌でも33ページと、それだけでも頒布などすることができます。
作成にあたり、日本外務省や各王室の公式サイト、各国の王位継承法および憲法をネット上から閲覧しています。
しかし、悩みましたが欧州の王様たちを知ってもらいたいという思いで無料で全文を公開します。
ただ、「この記事に金出してもいいよ」という善良な方がいらっしゃれば、サポーターとして寄付を受け付けています。また、この下に有料ラインを引きますので、そこでも寄付を受け付けます。
※有料ラインの下には何も記入はありません。ご注意ください。
ここから先は
¥ 500
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?