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長歌「怪人武内伝歌」

<怪人と後世に評されたある忠臣の、生から死に至る十三番>

一、「武内宿禰、生まれる」
十二世 景行帝の
大御世に 一人の男子
産まれたる 武内という
かの者は 孝元帝の
曾孫なり 帝命ぜる
東の地 様子知らせよ
武内は 帰りて告げる
「豊かゆえ 侵略すべし」
帝いう ヤマトタケルに
「東国を 治めてまわれ」
されど皇子 途上で死ぬる

二、「景行帝の大御心」
時は経ち 景行帝の
五十年 在位祝われ
その場には 稚足彦(わかたらしひこ)
武内の 姿あらざり
帝問う 其は何故(なにゆえ)や
二人述べ 皆不在では
もし有事 備えられぬと
帝褒め 二人を称え
皇太子 棟梁之臣
任じては 身を罷りたる
喪の中で 武内は泣く

三、「成務帝の大臣」
成務帝 十三世に
即位さる 武内共に
助けては 初めて地方
その区分 区画定める
後の世に 此れ名君と
成務帝 称えられたり
国造(みやつこ)を 任じ権威を
示したり 帝の御代は
いと長く 六十年も
争わず 次いで甥御を
武内に 任せ倒れん

四、「仲哀帝に忠言す」
その次に ご即位されし
甥御の名 仲哀帝と
言いにけり ヤマトタケルの
皇子なれば 十四世の
人皇ぞ 或るとき西の
熊襲族 討つべく帝
親征す 筑紫に至り
皇后や 神託うけて
武内が 訳し述べれば
「海渡り 向こうを攻めよ」
帝聞き 琵琶を止めれば

五、「皇后と海を渡り」
高台に 自ら登り
帝いう 「国など見えぬ」
皇后に 憑いた神らは
怒りたる 「天下は君の
物非ず 皇后の子が
世を治む」 帝怒りて
武内ぞ 宥めつかの間
帝伏せ 息は絶えたり
皇后は 腹に石巻き
海渡る 武内続き
三韓を 征伐したる

六、「神功皇后の信任」
皇后は 「神功」号し
筑紫にて 皇子産まれたる
この後に 別の皇子の
反乱し 武内は軍
率いては 宇治川の地で
反乱を 滅ぼせしめる
この時や 武内既に
御年は 百二十歳
余りなり されど皇后
若き皇子 其の後見を
命じれば 武内うける

七、「若き皇子の成長」
皇子育つ 間の摂政
皇后の 御自らが
務めたり 武内は
よく支え 皇子と遊ぶ
横顔や 好々爺とぞ
囃されし 其の傍らで
三韓が 反乱せれば
軍送り 鎮圧しめて
信得たり 皇后は
摂政にて五十七年
治めたり 皇子即位せん

八、「応神帝の裁判」
十五世 応神帝が
継ぎたりて 御父(ちち)が身罷り
時遠く 六十年も
過ぎたりし 讒言ありて
帝聞く 兄の武内
反乱と 弟のいう
その事実 帝は問いて
兄弟は 盟神探湯(くかたち)すれば
真偽みる そして武内
痕もなく 罪は晴れたり
弟ぞ 奴隷にされん

九、「互いの子」
帝の子 生まれ同日
武内も 子が生まれたる
其の時に 互いの家に
飛び込んだ 鳥の名前を
付けたれば 帝、武内
喜んで 吉兆なりぞと
祝いたる 子らはすくすく
育ちては 互いに遊び
帝いう 朕もかつては
武内に あやしてもらった
遠い日を 忘ることなき

十、「仁徳帝の褒賞」
帝の子 十六世に
即位せり 仁徳帝と
呼ばれたる その皇后は
武内の 孫の姫なり
この帝 心優しく
民憂い 老武内は
涙する 或るとき帝
五十年 在位の際に
武内に 互い長生き
したものと 称え武内
御年や 二七十歳

十一、「武内の心」
武内は 静かに言いたる
帝寄る 「我は長らく
仕えたり 五世の帝
皆知りて 我は死なずに
尚生きる 是や天命
というのか」 武内泣きて
帝の手 其の肩に置く
「いつの日や 定命あらん」
頷いて 武内礼を
述べにけり 帝はさらに
盃に 酒注いだる

十二、「幾星霜が過ぎたれば」
冬の原 歩く老爺(ろうや)が
ただ一人 其の命をば
振り返り 三六十……
蟄居して 数十年や
子と孫や 先にみな没し
世離れて 暮らしは長く
使者訪ね 帝の御前に
連れてゆき 十九世の
允恭と 帝名乗れば
「御曽祖父よ」  とぞ語りかけ
「願いあり」ただ述べにける

十三、「因幡下向」
武内や 曾孫に請われ
因幡へと 文を共にし
下りける 帝の命を
知る者は 武内ひとり
護衛をば 待てと命じて
砂浜を 一人歩けば
思い出さん 仕えた帝
若きから 老いて逝くまで
全て知る…… ふと風吹けば
砂荒れて 護衛走れば
草履のみ 残し武内

何処(いずこ)に消ゆる

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