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【viva不登校】「大人」や「子供」に関係なく「行動」が際立つ時代へ突入の巻
最近よく目にするようになった「キメラゴン」さん。
彼から一番学ぶこと、それは「行動」力だ。「情報」は民主化され、差別化するための鍵は「行動」と言われて久しい。「頭」では分かっていてもそれを「体(行動)」で示す人は一握りだ。
今の時代、「行動」に勝るものはない。そして誰しもが「行動」できる。
それは「大人」だろうと「子供」だろうと関係はない。人間であれば「行動」を選択することは誰にでもできる。ただしそこに制約というブレーキがかかる。だから一握りなのだ。そのブレーキは「大人」「子供」それぞれにある。
「大人」であれば、何か思い切って「行動」してみようと思っても「家族」「仕事」などが制約になってなかなか「行動」を起こせないことがある。しかしこれは厳しい言い方をすれば「言い訳」だ。「家族」があろうと「仕事」があろうと「行動」という一歩は踏み出せるはずだ。全ては「自分」が勝手に言い訳をしているのだ。
その点「子供」はやりたいこと、望むことを純粋に声にする、時に無茶に「行動」することもある。ではそこに制約となるものは何か?私は「親」だと思っている。「親」が自分が「子供」に期待することから逆算して「行動」にブレーキをかけるのだ。語弊を恐れずに言えば「親」の思うような人生を歩ませようとするのだ。人生を歩むための判断を「子供」にはできないと思っている。そんなことはない。できるできないではなく大切なのはその権利を持っているのは「子供」だということだ。
今回キメラゴンさんの動画を拝聴し、心からその「行動」に敬服した。自分自身も刺激を大いに受けた。
ただし動画中にあった「小さなアリに噛まれても気にならないでしょ」という感覚は私には相容れないものであった。この動画部分しか見ていないので、これはディスりでも非難でもなく、単純に動画を見てその部分は気になった。この部分に「大人」や「親」が介在する価値があるはずである。
viva不登校。
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