自由に選んでいない、に気づく。

アルファベットを整えるお稽古を始めて、知ったこと。
アルファベットは、自由に書いてよかったみたい。

お稽古で、アルファベットの書き方は決まってないと聞いた時、とても驚いた。
そうなの?!って。
自由にアルファベットを書いてみる、というお題だったお稽古の日。
色々な形のアルファベットを書いてみる。
横に長くしてみたり、どこかを短くしてみたり、ころんとした形にしてみたり。
自由に〜と思っても、
意外と多くのことに、縛られいることに気づき、呆然とする。


中学生になって、英語の授業が始まり、 
アルファベットの練習帳や、4本線の英語のノートに
この行の中に入れる、書き順など色々習ったなあ。
ちなみに私が中学生の頃は、筆記体の練習もあり、
せっせせっせと、筆記体の練習や文字を繋げる練習もしたなあ。
そしてテストの解答はなるべく筆記体で、と英語の先生が仰っていた記憶もぼんやりある。

ただ、今思うと、
英会話のネイティブのアメリカ人の先生は、筆記体なんて書いておらず、
割と自由な文字を書いていた。

美しいアルファベットをルールに従って書くことが当たり前だった。
それが日本の教育だったんだろうなあ。
日本の教育の良いところは、もちろん沢山ある。

だけど、文字くらい、その人らしくていい。
だいぶ前から、知らない間に、自分が好きな文字を書くってこと、
それを選ぶことさえなかったのか。。。
ほんと、その人が描く文字くらい、
自由で、自分で選んでいいのに、それに縛られている自分に愕然とした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?