見出し画像

節制という名の欲張り

最近、自分の力の使い方、出し方に迷っていたのだけど、良い感じの感覚を掴み始めたので、備忘も兼ねてそのことについて書いてみたいと思います。

自分の力の使い方、出し方の何に迷っていたかというと、多くの方と同様に私には複数のやりたいことがあります。その選択に迷っていた。

自分で事業を行いたい
その事業の中では、コーチングもしたいし、研修もしたい
色々な形で企業に関わって支援したい
そのために、もっと勉強したい、本を読みたい、いろんな人に出会いたい
その中で娘・息子や妻、両親・義両親ともしっかり時間を取りたい
そして、自分の健康も維持したい
もっと長い距離を短い時間で走りたい
なんなら、トレイルランニングを始めたい   などなど

細かいものまであげれば、まだまだ・・・・・・

これらのことをどれも実践するのは難しい。
そりゃそうだろうと言われても仕方がない。
「どれかを、今はあきらめたら?」なんて言われるかもしれない。

何を捨てて、何を目指すべきか。
もやは自分の生き方というか、命の使い方の問題のようにすら思えた。

尊敬する中村哲氏は、自分の人生を賭してパキスタンやアフガニスタンの人道支援に奔走した。ドキュメンタリー映画を見て初めて知ったが、難病の次男に十分に向き合えないことが分かりながらアフガンの現状を訴える活動をしていた。最期は凶弾に倒れるのだが、中村氏のお陰で何十万人という人命が救われ、多くの土地が砂漠から耕作地に変わった。

こんな命の使い方もあるのに、私は、家族も、仕事も、自分の健康も、全てを得ようとすべてが半端になっていやしないか。

家族を顧みず、仕事に没頭すべきなのではないか。

自分の内側の衝動や感情に向き合っても、どれも同じレベルで主張してくるから、選択が出来ない。

そんな状況だった。

そして、今。
どういう風に取捨選択しているかというと、、、、

「ぜーんぶ、欲張って得ていこう!」

こんな風になりましたww
なぜかって? それは、私が欲張りだから。

小賢しい私の頭はスマートに取捨選択をしようとしますが、私の心は全部欲しがる。

これは昔からで、社会人になる前から私は旅行に行くと色々な種類の美味しいものをなるべく多く食べる。そらそうだろ、と思うかもしれないが、私は多分ちょっと違う。

私は、美味しいものに出会ったとしても、お腹いっぱい食べることはしない。せいぜい腹六分に留めて、食べ終える。

なぜかとよく問われますが、これは食べるすべてのものを美味しく感じるためにお腹にスペースを残しているのです。今日はお腹いっぱいだから、次来た時に食べよう、とか思わない。ぜんぶ食うし、ぜんぶ美味しく味わう。そのために、お腹一杯にしない。

ね? すごい欲張りでしょ?ww
欲張りと節制は、相反すると思われがちだけど、旅行の時の私は、欲張るために節制していた。

それを、これまでは食べ物にだけ適用してきたけれど、これからは自分の人生全体に適用することにしました。

だから、全部、欲張って得ていく。得続けていく、と決めた。
全部とは、これからの未来で起きていくこと全てということだし、それを続けていくということは、持続的でなければならない。そのために、節制をしていく。

そう考えると、節制は我慢ではなく、私の中では欲張り行為の一部であり、我慢という感覚でなくなる。こうなると、やりたいことをやるも、やらぬも、どちらも自分のやりたいことであって、何をやるにしても意図がこもり、力が湧いてくる。

迷うことが減って、今のところいい感じ。
まだまだ節制しきれていないことも多いので、まだ伸び代があるのが、また良し。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
何かの参考になれば幸いです。
良い時間をお過ごしください。
ゆう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?