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社会人3年目で適応障害になった話(ラスト)
適応障害になった経緯のリアルです。
一連の記事は以下リンクから。
配属1ヶ月目
新しい部署と担当ラインの上司
私が携わっていた業務は、自分の案件を担当ラインの上司に確認をとり、そこからさらに上位者の確認を取るという流れで進んでいきます。
担当ラインの上司は、どちらかというとワーカホリックな気質で自分の仕事術・仕事哲学を語ることが好きな人でした。
新しく配属された私に色々なことを語ってくれたのも、親切心からだったのだと思います。初めは主に以下のようなことを言われていました。
・始業前に会社に来て資料を読み込んでおく
・他の人が来る前に今日1日のスケジュールを立てておく
・仕事の基本は守破離だ
私も新しい部署に異動したてでやる気に満ち溢れていましたし、いち早く仕事を覚えようと、とにかく真似て言われたことを実行するところから始めました。
朝は、PCをつけずに資料を読み、自主学習に励みます。
昼は、上司が早く戻ってくるので、自分も早く戻ります。
夜は、上司が帰った後も作業をして、業務内容を理解しようとします。
この時点で、「言われたことをやらないやつ」と思われるのが怖かったのかもしれません。
その上司に何と思われるかが自分の判断軸になってしまっていた気がします。
私生活への仕事の介入
しかし、段々と
・公開情報は家でも取れるんだから、資料は家でも読むことができる
・お酒を飲みながら資料を読むのが日課だ
というような話が増えてきました。
上司から「お前もそうしろ。」と言われたわけではありませんが、そのような話を聞かされている私は、自分もやらなきゃという焦燥感に駆られます。
「ああ、これもやらなきゃダメなのか。」
と考えるようになっていくわけです。
生活環境が変わり、東京での通勤生活に慣れようとしていたところ、朝と残業以外にも私の生活に仕事が介入してくるようになりました。
閉鎖的な指導環境
指導されている時の環境にも若干の苦痛がありました。
コロナ禍ということもあり、一部の上司は仕切りがある個別スペースで作業を行っていました。
そのため、指導を受ける際は、周囲から見えない状況で立ちっぱなしのまま長い話を聞かされることになります。
これが周りに状況を理解されづらいことに繋がっていきます。
配属2〜3ヶ月目
ここで、この部署でのいわゆる繁忙期という時期に入ります。
体調面の変化
頑張らなきゃと焦るままに1ヶ月が過ぎ、段々と頭痛がするようになってきました。
しかし、
・自己管理は社会人の基本だ。
・仕事に穴を開けると周りに迷惑がかかるんだからな。
と言われていますので、体調が悪いことは言い出せません。
もし休んでしまったら、「仕事ができないうえに、自己管理もできないやつ」という印象を持たれてしまうと思ったからです。
なので、コロナ禍という状況で良くないことは百も承知でしたが、熱があるまま、仕事に行ったこともありました。
業務量の増加と分担
繁忙期なので業務量が増えることは当然ではありますが、身体的な疲労が蓄積していきます。
また、上司は業務量が自分のコントロール下から外れることを嫌う性格のようで、どんどんと機嫌が悪くなっていきました。
来たばかりで右も左も分かっていない私の段取りの悪さが火に油を注ぎます。
そこで、上司から相談もなしに一言。
「〇〇さんの業務を周りに振るから、さっさと分担を考えて持ってきて。」
確かに、仕事が溜まってきてはいましたが、期限にはまだ時間がある中で、進め方の相談もなしに言われることにショックを受けました。
そして、先輩に同期にお願いをして回ります。
皆さん優しいので、忙しい状況の中、引き受けてくれます。
辛かったです。苦しかったです。
申し訳なさと罪悪感で心が押しつぶされそうです。
「〇〇さんは、限界みたいだからさ〜。」
と言いふらしていく声を遠くに聞きながら、
「あ、この人無理かもしれない。」
と本気で思うようになります。
上司からしたら早めのリスクヘッジぐらいの感覚だったかもしれませんが、この出来事が私の精神を追い詰めることになりました。
そして、「仕事ができない、段取りが悪いやつ」としてその上司から扱われるようになります。
上司の対応の変化
この頃から、
「〇〇さんはな〜、なんかな〜。」
「〇〇さんはそう考えるんだ、すごいね〜。さすがだね〜。」
と言われることが増えました。
皆まで言わないところに意地の悪さを感じながら、もはや指導ではない、分かりやすい皮肉に耳を塞ぎたくなります。
それでも、周囲に手伝ってもらっている中、自分が折れるわけにはいかないという気持ちを唯一の原動力として、業務に取り組んでいました。
考課面談にて
そうして繁忙期が終わる頃、さらに上位の上司や所属長との考課面談がありました。
「大変な時期に異動してきて、本当によくやってくれている。」
という評価に思わず涙が溢れそうになります。
そうして、
「何か業務をする中で困ったことはない?」
と聞かれました。
この時、ちゃんと相談しておけば良かったのかもしれません。
ですが、
「自分ができないからって上の上司に相談するやつ」と思われたくないという上司軸の考えが、またしても私の頭に入り込んできます。
加えて、苦しい時期を支えてくれた先輩や同期に感謝していたことから、
「次は自分が誰かを支える人間にならなきゃ。」
という思いが私の心に芽生えていました。
だから、言ってしまいました。
「大丈夫です。」
配属4ヶ月目
更なる体調の悪化
この頃から、頭痛・動悸・息苦しさ・不眠・瞼の痙攣・倦怠感など様々な症状に悩まされることになります。
また、食欲がなく、昼休憩を取ることが少なくなりました。
さらに、集中力や判断力が低下し、読んでいる文字が頭に入ってきません。
そのため、業務量は落ち着いても残業時間は変わらず、能率の悪さを時間でカバーするという負のスパイラルに陥ります。
精神面の変化
そして、明らかに精神面に変化があります。
「何のために働いているんだろうか。」
「会社に行きたくない。」
という思考以上に、
「ホームから降りれば会社に行かなくて済むな。」
「もう、どうでもいいから楽になりたい。」
という思考が頭の中を占めるようになります。
今まで希死念慮を抱いたことはありませんでした。
休職へ
休職に入る前の週には、相談が少し遅くなった案件がありました。
そこで上司から、
「土日に資料を読んで考えてこい!」
と言われます。
言われた通り、土日に資料を読んで考えますが、土曜日は12時間ほど過眠となり、日曜日は不安で3時間も寝れないなど、生活リズムはボロボロです。
そして、週明け上司から、
「前の支店でもこんなんだったのか?」
その時ハッとしました。
「前の支店では、こんなことはなかった。」
「もしかして、今の自分は何かおかしいのか?」
そうした、自分の心に応えるかのように、翌日に熱が出ました。
単なる風邪ではないことはもう分かり切っています。
泣きながら、不安な気持ちを抱えながら、人生で初めて精神科・心療内科の予約をしました。
そして、
「うつ状態です。」
と診断。診断書病名は、「適応障害」となり、現在に至ります。
終わりに
これが私が適応障害と診断されるまでの経緯です。
読んでいただいた通り、随所に私の「〇〇と思われたくない」という解釈が含まれています。
改めて振り返ると、上司の仕事術のシャワーを浴びることで、
上司:「指導した」
私 :「指導された」
関係が出来上がり、私が上司の言うことを実践しなかった場合、上司目線では「指導したのにやらなかったやつ」という扱いになると思い込んでいました。
それが嫌で、何でも受け入れ、実行しようとした結果が現在です。
ただし、これはあくまで私の解釈に過ぎないので、ここに私自身の改善の余地があります。
もちろん、パワハラ的発言があったというのも事実ではありますが、今後の人生を歩む中で完璧な職場というものほとんどないと思います。
重要なのは自分の捉え方次第で気の持ちようは全然違うということです。
正直、完璧にこの事実を受け止めきれていません。
トラウマのような感情を抱いているのも事実です。
ですが、今後の人生を生きるうえでは克服しなければならない私の性質だと捉えています。
どうやって生きていくかなんて全然分かりません。
でも死にたくないです。
そうやって今日も生きていきたいと思います。
また次回。