評価するまなざし
これは、ちょっと前の、今よりもいろいろと不安定だったときの僕のこと。
このころはファッションというものにものすごく悩んでいた。
服装に迷うようになったのは、大学生になって私服で登校するようになってからだ。週5日のコーデを決めるために寝られなくなることもあった。
私服なんて基本的には何でもいいはずなのに、どうしてこんなに迷って悩んで、苦しまないといけないんだろう。
自意識過剰なのはわかってるんだけど、毎日毎日僕の服装が馬鹿にされているような気がして、人の笑い声が全部自分の悪口に聞こえてしまうことまであった(実は今もたまにある)。
いつもいつも自分のコーデに自信が持てなくて、また服を買いすぎてしまう。
駅のホームで大笑いする名前も知らないその人たちは僕の服装を見た。頭のてっぺんからつま先まで、じっくりと見た。
僕は別にとんでもない露出をしてるわけじゃないし、目がおかしくなるようなチカチカした派手な格好をしているわけでもない(果たしてそんな洋服が存在するのかもわからない)。
僕にそんなじろじろと見られるような要素はない。
それは、評価するまなざしだった。
今思えば、その人たちも自分のファッションに自信がなかったんだなって思う。
だけど、自分が評価されていると感じるとき、僕はものすごくしんどくなってしまう。
ファッションは、
たくさんのインフルエンサーが勧めていて、流行をちゃんとわかっていて
「それ、古くない?」「流行ってないよ」
自分の肌に合う色、自分の顔に合う服、自分の雰囲気に合う服、自分のキャラに合う服
「その服似合わないよ」「ぽくないね」
季節感のあるコーデ、気温の変動に対応できて、
「それちょっと寒くない?」「着込みすぎだよ」「季節感ない色」
スタイルが悪く見えない、
「部屋着?」「コンビニ行くんじゃないんだから」「太って見える」
かつありきたりじゃない、自分の個性が表現できて………。
「ああ、みんな着てるやつね」「量産型」「個性ないの?」
同じ服ばっかり着ちゃダメ、お金をかけないとダメ
「おとといと全くおんなじ格好?」「安っぽい」「その服もうよれてるよ」「NGファッション」「このトップスにこのスカートはダメ」「この靴下と合わせるのはおかしい」「そのメイクもダサい」「リップ濃すぎ」」「メイク薄すぎ、してる意味ないじゃん」「髪型おかしいよ」「うわあ、なんか気合い入ってるの?」
「え、そんなに服にお金かけてるの?」
「それダサいよ」「おかしいよ」
「ダサい」「ダサい」「ダサい」「ダサい」
うるさい!
好きにさせろ!!
毎日毎日、完璧なコーデじゃないとダメ?無理だよ。
気にしなかったらいいってわかってる。わかってる。
でも、そういうレッテルを貼られるってすごい怖いんだよ。大学生ってさ、特にそういう評価が気になっちゃう時期なんだよ。
ダサいと思われること、逆にダサいと思ってしまうこと自体は全然いいと思う。マイナスの感情だって価値観だ、その人の個性だもの。
それに、僕だって心の中では誰かを評価してしまう。格好悪いと思うことだってある。人の気持ちや感情はどうにもならない。どうしようもない。
それはしょうがない。
でも、
自分の価値観を押しつけるな!
レッテルを貼るな!
どうしてわざわざ口に出して笑いものにしようとするの?
そのレッテルはみんなが認めれば真実(ということ)になるんだよ。
僕はそれが怖い。「誰になんと言われようと…」なんて言えるほど強い人間じゃない。本当にくだらないことでちょっとしたことで悪い評価をされて、たちまち孤独にされてしまうって知ってるから。
過剰に怖がりすぎだってのもよくわかってるけど。
価値観なんて人それぞれでいいはずなのに。そんなこと、ほとんどの人はわかっているはずなのに。
どうして、賛同者が多い方が正しいことになるんだろう。
あの人たちはきっと、昔の僕みたいに一生懸命何を着るか苦しんだりするんだろうなあ。しばらくは流行を探してSNSをさまよっているんだろうなあ。
なんだかきつい言い方になっちゃってごめんなさい。
結局は気にしすぎて自滅しちゃう僕が一番悪いんだけどね。
ここまで書いてみて、誰かの言葉以上に自分の恐怖心で自分の首を絞めちゃってることに気づいた。自分の理想が高すぎるのも、何かにつけて人と競争(切磋琢磨と言うよりは順位を上げるために蹴落とし合うようなこと)ばっかりしてた高校時代の名残かな。
今の僕も大概不安定だね…。
でも、少なくとも今の僕は、自分が着ていて楽な服を着る。自分が好きな服だけを着るようにしてる。
僕はやっぱり、ゆるーく着れて身体を締め付けないシンプルな服が好きだなあ。
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