原理原則は必要。ただカオスの中にも原則あり。

最近の気づきについて書きたいと思う。きっかけは7つの習慣を読んだこと。人格主義と個性主義についてという題材が自分自身にパラダイムシフトを起こしてくれた。

大前提自分は個性主義者に大学に入学したあたりからなっていた。自分の好きや、個性を生かすこと、目立つこと。自分自身、サッカーのエリート校(寮生活で閉ざされた環境)から一般大学に行き、社会経験がない、強みのサッカーが通用しなかったことへの焦り、劣等感やプライドによる、弱い自分を見せたくないという思いが強く、そんな自分を悟られないためにいろんなことに手を出して、本来の自分を偽り、やっぱりお前だけあって違うなと言う見せ方にずっと執着してた。それが今もなおずっと続いている。元来振り返ると人間的に辛かったかというと、全然強くなかった。すごく神経質だった。私心配性だった。私真面目。正義感が強い。コツコツやる人間だったと思う。

そこから徐々に見え方を意識するようになり、プライドになり、出来るように見られたいと思うようになった。

ただ本来の自分は真面目でコツコツやるからこそ結果が出る人間。そこのギャップに自分も気づいているからこそ、そこを見せられないから、人との関係性もうまくいかない。

話は戻るが、今まで見え方を意識してきたことを時代7つの習慣に書いてある。個性主義的な考え方であって、これは小手先のテクニックで、その時うまくけど永続的ではないものなんだと。

振り返ると自分がうまくいってたのは中一まで。そこまでは本当に真面目に謙虚にコツコツやってきていたと思う。そこから徐々に真面目にやってる自分で変だなと思うようになってきた。

今自分はすごく苦しんでいる。特に社会人なってからは。結局うまくいってるのって謙虚にコツコツやっている奴でその姿見てみんなもついて来。こいつなら信頼できるってなると思う。

自分は小手先でやっていて、見え方も意識してかっこつけていて。じゃなくてもっと自分に向き合いたい。そういう見え方を意識するのではなく、本来の自分と幸相対人格を磨きたい。

そのためには、自分には何もない。自分の強みはコツコツできると言うような謙虚な姿勢。

自分の中の謙虚は常にコツコツ学び続け、彼の力も行っても金でも起こらず、自分を利する続ける人間なのかなと思う

謙虚って凄く難しいと思う。やっぱり人って誰よりもすごくあり対し承認されるために強く見せたいと仁仁菜子できるならめんどくさいことはしたくないし、コツコツしたくないからこそ、小手先のテクニックや見方を特に意識してしまう傾向が自分にも強くある。

自分の中1行を思い出したい。あの時自分は強い劣等感にすごい苦しかったし、周りもみんな甘くて親もいなくて。だからもう努力するしかなくて。あの時の自分は自分よりも長いんだから、1人コツコツやり続けるしかないと言う思いで、結果も残せたと思う。

そして今も自分は苦しんでいてだけど、変わることもできると思う。だって中一の自分ができていたことだから。謙虚になれば俺はめっちゃ辛いと思う。
今仕事で何がきついかって言うと、今まで小手先のテクニックでなんとなくさすが酒井と言う状況が作れていた中で、ビジネスではしっかりとして努力ができなければ結果も出ないし、評価もされない。すごい苦しいなと思う。
なおかつ1対1って言うある意味、自分を打っている中で、人との関係性の構築に逃げてきた自分はかなり不得意なことをしていると感じている。
今の自分の気持ちには大きく2つの感情があって、
①ある意味、自分の弱い部分と向きあえている環境。なおかつこの弱い自分と向き合い変わることができないと会社職種が何であれうまくいかない。だから3年はいるべき。

②振り返ると入社してからもちろん腐ることもあるけど、今まで全力でコツコツやってきたと言う自負もある。もちろん1の考え方も理解できるのだが、スポーツとかもそうだけど、自分の強みを生かせるものであればより成功できると思っている。社会から求められているのはわかるが、自分が価値を提供できるものが、この領域ではあまり多くなくて、短い人生中で、もっと自分が子のために強みを生かせるような環境に身をおきたい。

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