じゃない方ゲー人による、平成ゲーム業界回顧録 #23
発売に向けた進行の中で、ドラゴンチームは開発とは別に一つの大きな課題を突き付けられていた。
それは、「ドラゴンズヘブン」というタイトルについてで、この時すでに同名の漫画とその漫画が原作のOVAが発売されており、ゲームではないものの紛らわしく商標的に問題がありそうだということで、タイトルの変更を迫られたのだ。
仕方なくいくつか対案を出して検討することにしたものの、ずっとこの名前のイメージで開発を続けていて愛着もあり、正直ピンとくるものはなかった。
しかし、タイトルロゴの作成や取説、パッケージイラストの発注など、ゲームを発売する上で決めなければいけないものに直接かかわってくる内容のため、いつまでも決めない訳にもいかず、最終的にはY田さんの鶴の一声で候補の中の一つだった「ドラゴンズ・アース」に決定した。
「大地」という意味合いでは大きく外れていないのだが、どうしても「地球」の意味合いが強く感じられ、架空のファンタジー世界を舞台にしたゲームとしてはイメージを限定しているようで今一つしっくりこなかったのだが、もっと良い案を出せなかったのだから仕方がない。
せめてものという訳ではないが、タイトルロゴはいかにもな感じのカッコ良いフォントでデザインしてもらい、また雄大なフィールドを野生のモンスターがなめらかなアニメーションで徘徊するオープニングや、古地図にランプを照らして羽ペンで目的地を選択するステージ選択画面、巨大なドラゴンが尊厳を保ちつつもボロボロになって横たわる絵巻風のエンディングロールなど、雰囲気を盛り上げる舞台装置を構築していくことで、僕は何とか留飲を下げようと試みていた。
だが、こうしてなまじっか表面上の完成度を高める方向に目を向けてしまったことで、逆に基本の部分で足踏みをして、完成の目途が見えづらくなっていた「セプテントリオン」との間で、会社の評価に微妙に差がついてしまっていたことに僕はこの時、まったく気づいていなかった。
1992年、夏。
「ドラゴンズヘブン」改め「ドラゴンズ・アース」は、プロモーションの一環として任天堂が後援していた「ファミコン・スペースワールド」という展示会に出展して、一般ユーザーに初お披露目することになった。
この時、普通は営業の担当者がゲームの案内をするのだが、「ドラゴンズ・アース」は当時珍しかった”リアルタイム・ストラテジー”というジャンルで、操作方法も独特だったため、営業担当が匙を投げて「お前が直接説明しろ」となってしまったため、自分もスタッフジャンパーを羽織ってブースに参加することになったのだ。
僕はようやく人に見せられるレベルにまでゲームが仕上がり、これまでは自分が観客として参加していたようなハレの舞台で自分の作品を多くの人に見てもらえることに、誇らしい気持ちに包まれていた。
だが、実際に会場がオープンして来場したお客さんの反応は、期待とは大きく異なる辛辣なもので、その様子を目の当たりにした僕は、立ち直れないくらいのとてつもないショックを受けることになるのだった。
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