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じゃない方ゲー人による、平成ゲーム業界回顧録 #06

スクールに通い始め、それなりに充実した学生生活を送るようになった自分だったが、志半ばに進路を変更したことのわだかまりというか、後ろめたさも残っていた。

好きなゲームの世界に飛び込むことに興味は惹かれたが、結局逃げじゃないか、好きなことを仕事にすることで義務感を感じてしまい、イヤになってしまうんじゃないか、もしそうなったら自分にはもう何も残されていないかもしれないといった不安もあった。

そんな迷いを断ち切るため、スクールが実家から少し離れていたことを機に、僕はスクールの近くに賃貸を借りて一人暮らしを始めることにした。

そして、家賃をねん出するため、新たにアルバイトを始めることにしたのだが、そこでもう一つ最後の賭けというか、進路を絞るため、通学と並んでかつて考えていた漫画家への挑戦をもう一度きちんとしてみようと考えた。

実は、僕は高校生の時、自作ゲームの投稿とは別にいわゆる”漫画の持ち込み”を一度だけしたことがあった。

その時は見よう見まねの完全に独学だったが、入門書は読んでいたので、ペンやトーンは画材屋で購入し、賞に応募できるページ数でストーリーを作り、頑張ってペン入れまで終わらせ、なんとか作品を完成させた。

とは言え、いきなり応募するのも不安だったので、編集部に電話して一度見てもらうことにしたのだ。

チャレンジするならまずは上からということで、(実際は上下ではないが)自分が一番読んでいた”週刊少年ジャンプ”の編集部で見てもらったのだが、これがまあ手ごたえのない反応だった。

漫画「バクマン。」でも持ち込みのシーンが描かれていたが、あるあるじゃなくて実際にあのまんまで、こちらが長い時間をかけて描いた作品をさらさらと読み流し、こちらもわかっているような欠点を指摘しつつ、割とどうでもいいようなところを仕方なく褒めておく感じ・・・

さすがに恥ずかしいのであまり書きたくはないが、この時描いた作品は「クラスの女の子に話しかけられた主人公がどう対応したら良いか分からず、コンピュータで理想の自分のAIを作り、アドバイスを受けながら行動するうちに自分を見失っていく」というSF仕立てのストーリーで、今考えれば観念的で暗く、少年誌の作品としてはダメダメなことは分かるが、この時は「チャラチャラしたラブコメなんて誰でも書けるわ~!」みたいなカウンターで描き始めたので、その辺りの客観性にはまるで無自覚だった。

この時、作品のテーマ性についてはさておき、そもそもの画力についてプロとしてはまるで追いついていないということがはっきりしたので、美大の予備校に行ってちゃんと絵の勉強をすることにしたという経緯もあった。

そして今、美大への道は断念したものの、持ち込み時よりは絵も描けるようになっていたし、ストーリーテリングとしての評価は定まっていないことから、漫画家の道としてはまだチャンスがあるかもしれないと考え、バイト先に漫画家のアシスタントを選択したのだった。

#創作大賞2023

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