ことばを発信する
はじめまして。
看護師として病院で勤務し20年。
看護師としての10年は同期と共に遊んでいたらアッという間に過ぎ(笑)、その後の10年は結婚・出産と人生における様々な経験をしながらも、日々成長をしていく子どもに何故かライバル意識が芽生え、負けてたまるかと一心不乱に勉強をしていました。
勉強はした。
けど、私は「書く」ことが苦手なんです。担当教授によく「書くことから逃げている」と言われる日々です。
毎日子どもを見ていたら、私も苦手と向き合わなければいけないと奮起し、私が最も苦手な「ことばを発信する」ことに挑戦したいと思います。
日々の姉妹の行動や発言に感情が高ぶることも多々ですが、教えてもらうことは数百倍にもあります。
姉妹の行動や発言をことばで表し、その意味を小児看護学の視点で深く考え発信していく場にしようと思ってます。
長女は今年で10歳。
長女を出産した時私は、小児科病棟で勤務していました。
しかも私は当初、小児看護学の学生指導を中心に行う立場にいたので、「子どものことは多少なりともわかっている」と自負していました。
しかししかし、実際に育ててみるとわからないことだらけ。
子どものことでわからないことを調べる時間に追われているときもありました。
でも、私が一番感じたことは、「この子、どんどん成長していく」という驚きでした。と、同時に「私は何も変わってない」という焦りが疾風怒濤の如く私の感情を揺さぶりました。
「このままではいけない」と感じ、狂ったように保活を行い生後6か月には病院へ復職していました。
「私は、仕事で成長できる」と思っていたのだと思います。
しかし、然うは問屋が卸しませんでした。
労基法67条に「生後満1年に達しない生児を育てる女性は、第34条の休憩時間のほか、1日2回各々少なくとも30分、その生児を育てるための時間
を請求することができる。」とあり、私は長女が1歳までこの育児時間を利用し就業終了時刻より1時間早く帰宅していました。
この「1時間早く帰宅すること」と生後6か月で復職したが故に発熱で保育園からの呼び出し電話➡子の看護の為の休暇により、私は看護師として「一線から外れてしまった」と感じる日々でした。
そんな自分の思い通りにはいかない日々でしたが、唯一私の居場所となったのが「小児看護学実習指導」の時間でした。1歳までは夜勤も免除できるため、病棟にいるのに毎日日勤の私が「レギュラーとして働いていると感じることができる時間」が実習指導のときでした。自分の経験をその時間惜しみなく使い、大変なことさえも楽しくて仕方ないと感じていたように思います。
全力投球していた学生指導の時間は、今もご指導いただいている担当教授の先生との出会いに繋がっています。先生に出会い、「箱入り娘」のように看護学校の附属の病院でぬくぬくと働いていた私の世界は一変しました。先生の助言のもと、小児看護学をより深く学ぶ為に大学院へ進学するという新たな目標をもち、専門学校卒業だった私はまず放送大学へ入学し、「学士」の取得を目指しました。そこから私の長い遅い学生生活が開始したのです。
今でも子どもが最高のライバルであり、ついつい勝ち負け判定をしたい欲求に駆られますが、絶対に負けていると日々痛感しています。
先生からは「最大の敵は自分自身です」と指導される始末です。私に不足している最大のスキルは「ことばで発信すること」・発信力だと実感しています。ライバルである子どもたちから学び、その学びを発信する場にしていきたいなと思います。
この発信で子どものことで悩んだり迷ったりしているお父様やお母様、子どもに関わるお仕事をされる方、子どもについてもっと知りたいという方に少しでも子どもについて知る・わかることが増えるといいなと思います。
よろしくお願いします。