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感情と記憶

こんばんは。
今日は、子どもの「感情と記憶」について書こうと思います。

またまた次女が3歳だった頃のお話です。
当時、体操教室に通っていた長女の影響を受け、逆立ちやでんぐり返しを盛んにしていました。
本人へ「体操習ってみる?」と問うと、一つ返事で「やる!」と答えたので張り切って体操教室を習うことになりました。
ただ、次女はとても慎重で新しい環境に適応するまでに時間がかかるんです。自分でやりたいと思った体操教室でしたが、なかなかその場に馴染めず、1時間泣き続けるときが1か月以上続きました。
やっと慣れてきたその時、事件は起きました。
私が「体操教室の時間に買い物へ行ってしまった」のです。
その教室は、ガラス越しに体操をしている子どもたちを見ることができる教室でした。泣き叫び毎回先生に抱っこしてもられっている次女、やっと慣れてきた次女を毎回私がガラス越しに見て、定期的に手を振っていました。
泣かなくなった次女に甘んじて、私は買い物へ行ってしまったんです。
戻った時すでに遅し、次女は再び「号泣」していました。

完全に私の過ちです。
この事件から約4年の歳月が経ちましたが、私は次女に未だ信頼を獲得できていません。。下記の写真のような「習い事のお迎えに必ず来るように」というメールが毎回届きます(涙)。

次女のメール

ここで、私の過ちである行動をイギリスの精神分析家・小児科医のドナルド・ウィニコット(Donald Woods Winnicott)の概念で言われている「ほど良い母親(Good enough mother)」という言葉で分析しようと思います。

ほどよい母親(good enough mother)とは、適度の心身の世話によって、快適な環境と、対象としての恒常性を与える母親およびその機能を指す。これは普通の良い母親のことであり、ほどよい母親になれない例として、強迫的に自己に没頭して幼児に関心を向けられない母親、また幼児に過度に没頭しすぎて同一化し、そのあと急に撤退する母親などが挙げられる。絶対依存の段階で母親が乳児の欲求を満たすことで、乳児は万能感をもつ。そこから母親が幼児へ少しずつ不適応を重ねていくことは、幼児に環境を提示することとなり、そうして幼児は万能感を脱却し、現実を認識できるようになっていく。明らかに完璧とはいえないお母さんの子が、まずまず正常に育っていくことができるのは、そこには十分な「ほどほどによい子育て」があるからである。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ウィニコット博士は、子どもの欲求に完璧に応えることはできない。
時に母親は間違えたり、欲求に応じることができなかったりという「不完全さ」があり、この「不完全さ」は子どもが「自分の外側にある世界に気づく」ために必要と言っています。
ありがたい教えです。
子どもは生まれた時、万能感に満たされている状況です。
自分は何でもできるし、なんでもやってもらえるんだという気持ちに満ちています。しかし、母親や父親という存在があり、自分の欲求は他者によって満たされていたこと、他者の世話も完璧ではない「現実」に出会っていくのです。「フラストレーション(欲求不満)を感じることで万能感を手ばなすこと」が子どもの成長にとって欠かせない過程とウィニコット博士はおっしゃっています。

次女も完璧でない私のような母親を通し、多くの現実を知ることになったのだと思います(涙)。
これからもウィニコット博士のおっしゃっている「ほど良い母親(Good enough mother)」として日々見守っていこうと思います。
また、この事件から、「感情を伴う記憶」はトラウマ(心の傷)となってしまうことを実感しました。この経験を今後の教訓にせねばと日々感じています。


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