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cultivatetachima
永遠なんてどこにもないさ/短歌解釈
シャボンまみれの猫が逃げ出す午下がり
永遠なんてどこにもないさ
私が中学生の時に出会い、
いちばん好きな短歌です。
作者は穂村弘さん。
シャボンまみれの猫、昼下がり。
猫を石鹸だらけにして外で洗っているのだから、
そこはきっとあたたかい、
ささやかな幸せに包まれた午後。
歌の前半は
57577に囚われない破調を用いており、
そのリズムは、
猫に調子を狂わされているようであり、
陽だまりのリズムのようでもある。
「永遠なんてどこにもないさ」
猫が逃げ出してしまった。もう姿は見えない。
永遠に猫が戻ってこない、なんてことはない
あるいは
猫が永遠にそばにいてくれるわけではない。
はたまた、
哲学。
前半とは一転、急に温度が下がり、
ぽつり、とつぶやいたような
「永遠なんてどこにもないさ」
破調によりリズムを崩したかと思えば、
前半と後半の温度差にゾッとする。
そのぞわり、とした感覚は、
どこか美しさも感じさせる。
人類は日々、永遠を夢見て技術の向上を目指している。
だけど永遠というものの本質は、
家の外に出したらすぐに逃げ出してしまう
猫のようなものなのである。
幸福も永遠でないのだ。
幸福も永遠でないのだから、
寂しさも、苦しみも、永遠ではない。
幸福や苦しみにまみれた私たちも、
あたたかい昼下がりに逃げ出してみたいと思う。