沢木耕太郎『天路の旅人』に桜沢如一が登場
『深夜特急』で一世を風靡した日本を代表するノンフィクション作家である沢木耕太郎氏から、桜沢如一資料室に問い合わせがあったのは、昨年の9月のことであった。
ナゼにそんな大メジャーな作家さんから、直接電話での問い合わせがあったのか?
実は沢木氏は、第二次世界大戦末期に、中国大陸の奥深くまで「密偵」として潜入した謎多き日本人で『秘境西域八年の潜行』という旅行記を残した「西川一三」という人物に興味を持ち、長年追っていたそうなのである。
おそらく旅の作家である沢木氏は、その当時誰も日本人がたどり着いたことのないチベットの秘境へ、なぜ西川がなぜ導かれたかに作家的ロマンを掻き立てられたのであろう。
そして、この西川一三なる人物が、8年間の激動の旅を終え、日本に帰国した時に出会ったのが桜沢如一であったのだ。
出会った理由は不明なのであるが、西川は当時インドへ行く予定であった桜沢に一緒に連れて行ってもらう約束をして、桜沢の私塾であった「MI」に出入りし、自然食の活動を手伝っていたのだ。
結局西川のインド行きは実現せず、桜沢はリマと共に世界無銭武者旅行に出てしまうのであるが、西川は当時MIにいたふさ子という女性に出会い結婚し、MIのつてで化粧品素材の卸業を盛岡で始めて、ひっそりと暮らし89歳の人生を閉じたのであった。
沢木氏からの問い合わせは、当時桜沢が発行していた「SEKAI SEIHU(新聞)」で、西川が「チベット探検記」というコラムを連載しており、その記事の請求と調査の中でたどり着いた斉藤武次氏への仲介依頼だった。
協会の事務局の女性職員は歓喜し、もし沢木氏が資料室を訪れたら、誰がお茶を持っていくかで大揉めをしていた。
しかし沢木氏は、桜沢如一自身への興味はあまりなく、「なぜ文章にカタカナが多いのか?」という疑問程度で、あくまでも西川の人生の補完取材の対象であり、資料室への訪問は残念ながら実現しなかった。
それでも、昨日協会に贈呈本として届いた新刊『天路の旅人』には、西川と桜沢の出会いの中で、当時の桜沢の活動である真生活協同組合、世界政府運動や無双原理など、用語や名称は怪しいが、しっかりと語られていたのだ。
500ページを超える大型ノンフィクションなので、どれくらい話題になるかは定かではないが、本としてはとても思いく、西川一三が激動の旅を終えて、桜沢の元でふさ子さんに出会い、人生の転機を迎えていくシーンをあの沢木耕太郎が描いているという夢のような現実に、とても興奮するのである。
沢木耕太郎『天路の旅人』
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