宇宙の科学と人間の科学
人はいつから宇宙の科学を信じられなくなったのだろうか。
この花の形、色、そして香りを創ったのは誰なのだろう。
地球の生命には38億年という歴史があるとされる。そしてこの生命を創り出したのは46億年という地球の歴史である。そして、この地球を創り出したのは、いうまでもなく138億年という宇宙の営みである。
そうこの花を創ったのは、まぎれもなく宇宙の138億年という壮大な科学が生み出した賜物である。
それに対して人間の科学の歴史は、どれくらいになるのだろう。
ホモサピエンスの誕生は約10万年前と言われている。人類の文明が発生したのは5000年前で、西洋の近代科学が始まったのは、諸説あるが約500年前と言われる。
人間の科学はこの500年で自然をコントロールする程、凄まじい発展を遂げた。
しかし、人間の科学はいまだ、この花の遺伝子を組み替えることぐらいしか出来ず、この花を一から創ることもできない。
自然をコントロールできるといっても、それはこの広大な宇宙の微量な領域でしかなく、いまだ地球の自転や公転すらコントロールできない。
それでも人間は、宇宙の138億年の科学はもう信じられないから、人間の500年の科学を信じたいという。
生命の「自然免疫(獲得免疫も含む)」は、この宇宙の科学の中で38億年の年月を経て、試行錯誤しながら確立されてきた地球の有機化学最高峰のシステムである。
それに対し、人間が創り出した「人工免疫」はパスツールが研究を初めて150年の間、試行錯誤して創ってきた人類の叡智の結晶である。
この「人工免疫」のおかげで、人類は本来自然淘汰される弱者を守り、この地球上で大きな発展を遂げる生命となったのである。
しかしだからといって、この150年の歴史のある「人工免疫」が、38億年の歴史のある「自然免疫」を超えたわけではないであろう。
私達はあくまでこの「自然免疫」を基盤として、「人工免疫」をうまく補助的に使って人類の発展を目指すべきなのではないだろうか。
子どもたちは「自然免疫」の塊である。だから外で泥まみれになって遊び、さまざまな抗体を創っていくことが使命である。
そして健康な大人は、社会の秩序を守りながら、多少リスクがあってもどんどん動いて働き無症状あるいは軽症で感染を広げて集団免疫を獲得していく使命がある。
そして科学者は老人、基礎疾患者、健康に自信がない弱者を「人工免疫」で守っていく使命がある。
つまり、宇宙の科学である「自然免疫」と人間の科学である「人工免疫」が対立せずに協調していくことが人間の生きる道なのではないだろうか。
人類にとっての一番のリスクは、「自然免疫」と「人工免疫」の対立である。
すべての人が「人工免疫」に頼ってしまえば、38億年をかけて、それぞれの環境で育まれた「自然免疫」の多様性が消失してしまうことになる。
一種類のジャガイモに頼ったアイルランド人が大飢饉に陥った歴史を見れば明らかであろう。
でも「人工免疫」を否定するということは、人類の文明、いや人類の存在意義を否定することになるであろう。
いまや人類の多くは、完全な野生では生きては行けないのだ。
人工免疫派は、「自然免疫」という宇宙の科学の偉大さを知るべきであろう。そして自然免疫派は、人類の努力の結晶である「人工免疫」を称えるべきであろう。
お互いが対立することで、対立する人が得をすることはない。
対立することで得をする人は、そこにはいないのだから。