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キャンセル時代をどう生きるか―2つの「キャンセル」流行の背景―


近年、SNSを中心に「キャンセルカルチャー(Cancel Culture)」と「キャンセル界隈(Cancel Cluster)」という2つの異なる「キャンセル」の概念が広がっている。キャンセルカルチャーは倫理的・社会的な観点から他者を排除する文化であり、キャンセル界隈は個人の生活習慣の一部を「キャンセル」する、もはやライフスタイルの一形態として成立している。一見すると、社会的制裁を伴うキャンセルカルチャーと、軽いノリの自虐コミュニティであるキャンセル界隈は無関係に見えるが、実は共通する社会的背景が存在する。本論では、これらの現象を比較し、その関連性と、それらを生み出した背景について考察する。

1. キャンセルカルチャーとキャンセル界隈の比較

(1) 「何をキャンセルするか」の違い

キャンセルカルチャーとキャンセル界隈の最大の違いは、「何をキャンセルするのか」にある。

  • キャンセルカルチャーは、社会的に問題があるとされた個人・企業・コンテンツを排除する。

  • キャンセル界隈は、自分の生活習慣や行動の一部を意図的に排除する。

前者は「社会をより良くするための排除」であり、後者は「個人の負担を減らすための排除」と言い換えることができる。

(2) 目的の違い:倫理の追求 vs. 合理性の追求

キャンセルカルチャーは「社会正義」を目的とし、道徳的・倫理的に問題があるとされた存在を糾弾する。例えば、過去の問題発言や不祥事が発覚した著名人がSNS上で炎上し、活動停止に追い込まれるケースが典型的だ。これは、「間違いを許さず、社会の正しさを守る」という理念のもとに行われる。

一方、キャンセル界隈は「選択の負担を減らし、生活の合理性を追求する」ことを目的とする。例えば、「お風呂をキャンセルする」「朝食をキャンセルする」といった行動は、社会的な規範よりも、自分にとっての最適解を優先する姿勢を示している。ここでは「やらなければならない」という重圧から解放されることが重要視される。

(3) 「他者への影響」の違い

キャンセルカルチャーは他者に対する強い影響を持つ。企業や著名人に対して制裁を加えることで、社会全体の価値観を変えようとする側面があり、「社会的に許される行動」のラインを厳格に定める働きをする。そのため、倫理的な基準が絶えず更新され、時には「言葉狩り」として批判されることもある。

一方、キャンセル界隈は基本的に自己完結的だ。個人が自分の生活の中で「何をしないか」を決めるだけであり、他者にそれを強制するものではない。そのため、外部からの圧力を感じることなく、ゆるやかな共感によってコミュニティが形成される。

(4) コミュニティの性質:攻撃的 VS 受容的

キャンセルカルチャーのコミュニティは、倫理的な問題を指摘し、糾弾することで「正義」を実現しようとするため、攻撃的になりやすい傾向がある。「間違った行動を見逃すことは悪である」という価値観のもと、過去の発言や行動まで遡って批判の対象となることもある。

一方、キャンセル界隈のコミュニティは、「できないことややらないことを許容する」文化のもとに成り立っているため、受容的な雰囲気を持つ。例えば、「え、風呂入らないとかマジ無理!」って責めるのではなく 「え、わかる〜! てか昨日うちもサボったしw」といった共感し合う場になっている。

2. キャンセルカルチャーとキャンセル界隈が同時に流行する背景

(1) SNS社会と適応戦略

SNSの普及により、私たちは常に「見られる」ことを意識している。この環境では「正しいことをする」ことが求められる一方で、その重圧から逃れようとする動きも生まれている。

  • キャンセルカルチャーは、「社会的に正しい立場を示す」ことで、先に自身の道徳的優位性をアピールして他者を批判する側に回り、自分が批判されるリスクを低減する。

  • キャンセル界隈は、「正しさを求めること自体をキャンセルし、肩の力を抜く」ことで、自己肯定感を維持する。

これにより、「より厳しく倫理を求める人々」と「厳しさから逃れようとする人々」が同時に増えており、いずれも精神的余裕を失った社会環境の中で生き抜くための適応戦略として機能している。

(2) サブスク・ショート動画文化と「選択しない合理性」

両者が流行する背景には、NetflixやSpotifyのようなサブスクサービスや、TikTok・YouTube Shortsといったショート動画の普及も関係している。

  1. ショート動画文化の影響
    現代の情報消費スタイルでは、長時間の熟考よりも、直感的・瞬間的な判断が求められるようになっている。長い動画を一本見るのではなく、短い動画を次々と流し見るという行動は、「主体的に選ぶ」よりも、「次々と提供されるものを受動的に楽しむ」ことが主流になっていることを示している。

  2. サブスクリプション文化と「選択の放棄」
    定額制の音楽・動画・食品デリバリーサービスなどが普及し、「わざわざ選ばなくても、一定のクオリティのものが手に入る」という文化が生まれた。例えば、NetflixやSpotifyでは、「自分で映画や曲を選ぶ」ことすら面倒になり、レコメンド機能に従う人が増えている。

こうした背景から、人々は「積極的に選ぶこと」よりも、「選ばずに済む合理性」を求める傾向が強くなっている。

  • キャンセル界隈は「選択すること自体の負担」を減らし、日々の生活の合理化を進めている。

  • キャンセルカルチャーもまた、社会的な「正解」を求める圧力を強めることで、「何が正しいかを考える時間」を短縮し、すぐに行動できる環境を作っている。

どちらも、「思考や選択の負担を減らす」という共通点を持ち、現代社会の合理化の流れと合致している。

(3) 多様性の尊重と「キャンセルの自由」

近年、個人の価値観やライフスタイルの多様性が尊重されるようになり、「何をするか」だけでなく、「何をしないか」も自由であるという考え方が広がっていえう。

  • キャンセルカルチャーの側面では、「多様性を尊重しない価値観を排除すること自体が、より良い社会を作るための正当な行為」と考えられるようになっている。過去の倫理観では問題にならなかった発言や行動も、現在の価値基準に照らして批判されることが増えている。

  • キャンセル界隈の側面では、「何をやらないかを選ぶのも自由である」という発想が強まり、「お風呂に入らない」「朝食を食べない」など、多様な価値感を尊重する動きが広がっている。例えば、ミニマリストが物を排除することをライフスタイルにするように、キャンセル界隈の人々は「行動を排除する」こと自体をライフスタイルとして認め合っている。

このように、「キャンセルすること」自体が1つの選択肢として認められる社会になったことで、倫理的な排除の側面と個人的な最適化の側面が同時に発展し、キャンセルカルチャーとキャンセル界隈が共に流行している。

3. キャンセル時代をどう生きるか?

キャンセルカルチャーとキャンセル界隈は、一見正反対のように見えて、どちらも「現代社会の生きづらさ」に対する適応の形だ。しかし、どちらも極端に進むと問題が生じる。

  • キャンセルカルチャーは、「間違いを許さない社会」を作るリスクがある。

  • キャンセル界隈は、「必要なことまでキャンセルしてしまう」リスクがある。

大切なのは「何を排除するか」ではなく「何を許容し、ともに生きるか」。SNS時代に多様な価値観を持つ人々と共生するためは、時にはSNSをキャンセルして他者を許せない自分を許すことが必要だ。

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