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地獄絵図は天上界への入り口

昨日はパンチのある出来事が仕事中に起きました(笑)
訪問した利用者さんとその息子さんとのやり取りです。
 ※訪問リハビリの仕事してます※

その息子さんは認知症の利用者さんである母親と二人暮らし。
詳細は割愛しますが、その利用者様のお宅は衛生面に手が届きづらく、
尿臭含め臭いが凄いです。特に息子さんが母親のおむつ関係を行う事は
様々な抵抗がでるでしょう。本当に息子さんはよくやってると思います。

HSPやエンパスのおかげで、私はその息子さんの憤りや怒り悲しみが、
私の溝内をえぐるように伝わってきました。
その中、利用者様の歩行練習をしていると、
2階まで臭いが上がってくる!と、うちわのように私たちに向かって
大きな紙で空気をあおり2階や1階を行き来し、目がうつろです。

表層的な私は、そこまで気が狂うなら、ショートスティに預ければいいじゃないか。入浴拒否をそのまま受け入れてるなら、尿路感染で熱出すことを医療従事者や国のせいにするな!と思いました。
きっと、世論はそんな母親をほっとけないお子様もいるんだ、
その気持ちがわからないのか?と言われそうですが(これも私の妄想ですかね。)・・・。

でもですね、私はこの目の前の地獄絵図の見ている感覚は幼少期から様々な現実を通しよく感じる機会がありました。

今回は、これを自分の力で天上界に完結する時だな、と腹にぐっと力を入れました。これを映しているのは私の内側。

この息子さんの何がこんなに私の心をえぐるのか観察していると、
自分に似ているところがたくさんあるわ~(苦笑)ってわかっちゃったのです~(いたたたたた・・)

ある意味私は事あるごとに親を持ち出し、、社会や新たな人間関係、仕事、
自分で自分の世話をする事を放棄していた気づきました。

プライドを捨て、困ったなら人に素直な気持ちを伝え”助けて”と言う事。
自分の愛を表現したときに、同じような愛が帰ってくるか怖くて、言葉にせず伝えてこなかった事。
とても愛してほしい人(特に親)に嫌だと言ったり、わがままを言わずにきた事。

こういう家庭環境だったし、こんな環境で育ったから私の人生こんなもん、みたいな、
自分では仕舞い込んだ諦めや無念に気づきました。

つまりは、家族そして、家族以外の社会や人々とぶつかり稽古をせずに来た事。

私が思う、私とこの息子さんの似通った点は、
目の前の人をほっとけない、と自分を我慢させる事。
そして、こんな世界に自分が身を置かないといけない、
行き場がない、孤独が自分のデフフォルトになっている事だと思いました。

これをなぜやってしまうのでしょう?
いきつくとろこは、親からの愛を欲していたんだと思います。

もう、本当の意味で愛せるのは自分しかいない。
自分から精神的自立をすること。
それは、時には罪悪感の起こる事かもしれない。

罪悪感が出る事は、自分にとっては快感。
それを自分で自覚できるのは身体感覚。

私のように他人の感情や空気を敏感に察知し、
目の前の人が喜ぶ事を無意識的に選択してきた人ほど
罪悪感がでる場面が多いと思う。

でもそこがチャンス。
目の前の状況が揉めずにほどほどに上手くいく事、って
本当に自分にとっての望みか?と毎回自問自答したい。

自分にとって喜ぶ事を選んで行動に起こしてあげるしか
精神的自立をする術はない。
私はほんの小さなアクションから始めた。

頭の中を自分の事だけにする時間を作る事。
目の前に悲しげな人がいても、目の前の食事に美味しいと感じる事。
道を歩いてる時に感じる太陽の温かさを感じる事。
ラインや電話の返信を無視して好きなアメリカドラマに没頭する事。

その行動で罪悪感がでまくるけど、
そこから逃げずその罪悪感に留まって感じきる。
この繰り返しで自分の精神的自立ができる。

介護場面って家族関係での感情の揺れ動きが多い事だから、
私は自分の家族をとっても仕事中に関わるご家族をみても、
自分の内側がクリアリングでき、ますます成長できる機会だと思っている。

自分に嘘ついてきた事があぶりだされる期間。
これを機会に自分に嘘ついてきた自分との関係を修復し
本来の自分の存在状態にしていく。

本来私たちは、誰しも
温かく、安心で、喜びの状態。

自分の内側が目の前の人や現実を創っています。
どんどん、本来の自分に戻る事で、
私の目の前に現れるその”息子さん”の状態も変化していくかもしれないし、
もしかしたら私と関わる事がなくなかもしれない。

目の前の現実はどうであれ、
嫌な現実があるのであれば
自分で天上界にできる力が皆もっている。

地獄絵図は天上界への入り口。


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