遠くを想う
シロクマは静かに目を閉じている。鼻や口の周りには氷の破片がこびりついている。氷の大地で獲物を探している時に、ふと手を止めて風の音に耳を傾けたのだろうか。
その姿はまるでどこか遠くにいる人の幸せを願っているようにも、懐かしい子どもの頃の記憶を愛おしんでいるようにも見える。もしくはよりよい未来を想像する人の表情にも見えるだろうか。
写真家 星野 道夫
アラスカを舞台に活躍した写真家・星野道夫さんの作品には、シロクマやグリスビー(アメリカヒグマ)、カリブー(北米のトナカイ)など大自然で暮らす野生動物をとらえた写真が多い。
星野さんは1952年に千葉県で生まれた。大学生のときに東京・神田の書店で偶然目にしたアラスカの写真に心を奪われ、「どんな仕事でもするので、ひと夏を過ごさせてほしい」と見知らぬ村長に手紙を書いた。3ヶ月間、北極海に面するシシェマレフ村で過ごしたのち、アラスカで生きる野生動物や人をテーマに写真家として生きていくことを決意する。やがて生活の拠点をアラスカの地へ移し、1996年に事故で亡くなるまで研究や取材を通じて数々の写真やエッセイを発表した。
全国で定期的に開催される写真展「星野 道夫 悠久の時を旅する」には彼の日記に記された文章とともに数々の作品が展示される。数mに及ぶ巨大なパネルに写し出された動物たちの表情やアラスカの自然に囲まれていると、いつしか日常の生活から解き放たれて自分が極北の大地にいるような気持ちにもなってくる。風の音や動物の息づかいが聞こえてくるようだ。
シロクマとの出会い
冒頭のシロクマの写真もそんな作品の一つだ。目を閉じた思慮深い表情の下で何を考えているのだろうと想像をめぐらせたくなる。エスキモーの伝説には多くの人格化されたシロクマの話があるそうだ。
星野さんは初めて野生のシロクマと出会った時のことも文章に残している。
「乱氷の間をぬって歩いてゆくと、氷原の彼方に白い点がポツンと目に入ってきた。目をこらしても何なのかよくわからない。私はゆっくりと近づいてくる点をしばらく見つめていた。」
見渡す限りの氷の世界。単独行動をしていた自分の前にゆっくりと現れたのはシロクマだった。時間が止まったような感覚だろうか。音が消えて、自分は動けなくなる。シロクマがこちらに向かって歩いてくる姿には神秘的なものさえ感じそうだ。やがて星野さんは我に返り、恐怖にかられる。
アラスカの地で生きる
その他にも表情豊かなシロクマをとらえた写真は多い。
若い2頭のシロクマがじゃれ合っている写真がある。一頭のクマが氷原の上であぐらを組んで正面を向いている。まなじりが下がって、口元はわずかに開いている。その表情は何か声をあげて泣いているにも見える。もう一頭が泣いているクマの肩を背後から抱き寄せている。そして首筋に頬を寄せてキスをしている。
視界がなくなるほどの猛烈なブリザードの中でたたずむシロクマの親子の写真もある。立ち上がっているのは母親だろうか。シロクマは数km先の獲物の匂いをかぎわけることができるらしい。すさまじい風雪の向こうにわずかなアザラシの動きを感じたのかもしれない。うずくまっている子どもが母親の足元から顔を出して母親と同じ方向に鼻先を向けている。
シロクマは神秘的であり、かつ人格的だ。だからこそ、現代の地球環境におけるシロクマの危機的な状況に想いはつのる。汚染された化学物質がこの北の果てに生きる野生動物の体内から見つかることもあるのだという。
星野さんは「シロクマの存在を守ることは私たち人間が生きのびてゆくかどうかの象徴にさえ思える」と記している。
多様性とエンパシー
多様性を守ることは人に課された使命であると思える時代だ。そのために取るべき行動はさまざまではあるが、その第一歩は「想像する」ということに尽きるのではないだろうか。
自分とは異なるバックグラウンドをもつ人や動物の身になって、その気持ちを想像すること。それはエンパシーとも表現される。決して自身の自然な感覚に沿って人や動物に対して可哀そうと思ったり、考えに共感することではない。「意図的に他者の立場に立って想像してみる能力」であり、だからこそ訓練によって身につけることができる。人が生きる上で必要な汎用的なスキルと言えそうだ。
星野さんはこんな言葉も残している。
「きっと人間には2つの大切な自然がある。日々の暮らしの中で関わる身近な自然。それは何でもない小さな森であったり、路傍の草の輝きかもしれない。そしてもう一つは訪れることのない遠い自然である。ただそこに在るという意識を持てるだけで、私たちに想像力という豊かさを与えてくれる。そんな遠い自然の大切さがきっとあるように思う。」
日々の生活では接することのない遠くに生きる動物の立場に立ってみる。そこでの暮らしや環境の変化を想像してみる。
星野さんの写真はそんなエンパシーの機会を与えてくれる。
「人間の歴史はブレーキのないまま、ゴールの見えない霧の中を走り続けている。だが、もし人間がこれからも存在し続けていこうとするのなら、もう一度、そして命がけでぼくたちの神話を作らなければならない時が来るのかもしれない。」
アラスカの地から投げかけられた言葉は、深くそして重い。
<参考文献など>