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「TOMO旅行記」〜インド編〜

今年の夏は本当に暑い。
こんなに日本が暑いなら、インドはさぞ暑いんだろうと思ってデリーの天気を調べると、最高気温と最低気温が東京と全く同じだった。
どうりでインド料理ばかり食べたくなるわけだとなぜか納得。
日本はこれからどうなってしまうんだろう、、
そんな心配は置いておいて、今回はインドの話。

この夏、外食と言えばほとんどインド料理を食べている私はインドが大好き。

初めてインドに行ったのは5歳の時で、鍼灸師の母の勉強についてインドとネパールに行った。デリーの空港に着いてすぐ、「ここに住みたい!」と母に言ったらしい。
飛行機を降りた時の強烈な匂いと、全身を包み込む熱気は今でも覚えている。とは言っても、5歳の記憶は曖昧で、微かな香りとネパールの美しい風景、刺激的な人々と動物たちの思い出が残っている。
チトワンの国立公園では、象に乗って野生のマレーグマを見たり、木の檻に入った人食い虎を見たりした。現地のおじさんが檻の隙間から木の枝で虎にちょっかいをかけていたのは、今考えると普通に怖い思い出である。

2度目のインドは14歳の時。当時の私は自信がなくて、何に対しても怯えていた。中学生なんてそんなものかもしれないけれど、今考えるととっても生きづらくて不安な時期だった。
5歳の時とは打って変わって、行きの飛行機でも、移動の車でも、終始緊張していたように思う。(5歳の時は、ネパールで乗った民間の小さなヘリコプターで、騒音対策のためにちぎった綿と飴が配られた時も、飴が苺味で喜んでいたのに。)

デリーから寝台列車でブッダガヤに行って、そこから各地の寺院を見て回るとても贅沢な旅だった。その時の私はなぜかインド料理が食べられなくて、終始トーストとオムレツを食べていた。

インドまできて食べるものじゃないかもしれないけど、辛くないものがこれしかなかった。

そして、なぜかいく先々で大勢に囲まれて腕をがっしり掴まれ記念写真を撮られた。

3秒くらい前にあったとは思えないくらいしっかり掴んでくる
課外学習に来ていた学生さんとどこかの子供ちゃん
写真を撮ってというけど撮るのはいつも私たちのカメラ

段々、珍しそうに見られることも、知らない人に声をかけられられる事にも慣れてきて、言葉は通じないけれどその表情から、みんなとても優しいことがわかった。
見るもの全てに疑ってかかっていた私も、その優しさから緊張が取れ、色んなものを食べたり見たりしようと思えた。

暑い日にリヤカーで売っているきゅうり。これにも辛いソースがついてくる。

訪れた寺院では美しいマントラを聞き、神秘的な体験があった。
神聖な場所には、色と音、様々な香りが溢れていて、寺院に向かう道とは比べ物にならないくらい賑わっていた。(日本は参道に屋台やお店があるけど、境内は静かなことが多いように思う)
人々が大声で祈り、何かを勧めて叫び、慌ただしい雰囲気があった。水、火、スパイス、花、お香、食べ物、色とりどりのお供えものがあり、人々の衣服も美しい色だった。
インドの宗教観は日本の神道に似ているところがあると思うことがある。思想というより、習慣的に神様を意識して生活の中に存在を見出しているような感覚。知識よりも感覚的に神様に近づく、そんな体験だった。

街の至る所に野犬がいて、その他にも牛、鶏、山羊、水牛色んなものが共存していた。

犬が大好きな私には天国のようだった。ただし、絶対に触ってはいけない。
飼われているものもいれば野生のものもいる。区別はよくわからない。

ブッダガヤはブッダが悟りを開いたと言われる仏教発祥の地。美しい寺院はもちろん、そこに広がる菩提樹は息を呑むような存在感だった。
ブッダガヤで泊まったゲストハウスでは、オーナーがdal(豆カレー)とチャパティを振る舞ってくれて、これが私の人生で一番のカレーになった。

ライタ、アチャールも全て手作りで絶品だった。
朝ごはんには、搾りたてのオレンジジュースとチャイが出て、これも絶品だった。

最終日には本格的なインド料理をたくさん食べ、帰りの飛行機でお決まりのスパイスの洗礼を受けて帰国した。
(空港でお腹にやさしいスープを探して、やっとの思いで頼んだら激辛だった時は泣きそうになった笑)

何も知らずに無邪気に楽しんだ5歳のインド、少しの知識と不安から始まった14歳のインド。
どちらも最高の思い出だけど、あれからもっと世界を知って、改めてインドが大好きになった今の私にはどう映るのか、これを書きながら熱烈にインドに行きたくなっている自分がいた。

tomo

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