縁切り榎に行って過去を振り返った
母の再婚相手に馴染めなくってェ~
6歳から25歳まで苦しくってェ~
親元離れてからもいろいろあってェ~
そんなわたしが、縁切り榎に行って過去を振り返った日記。メンヘラ風味。
神仏に頼りたくなるはどんな時か
ずっと行きたいと思っていた縁切り榎。板橋区にあり、都内最強と名高い。悪縁を絶ち良縁を結んでくださるという。お参りに行ってからすごいことが起こったりはしていない。それもそのはず。努力や行動をしてその上で後押ししてくれる存在が神仏だと思うから。
でも悲しいかなこの世の中。正しく真面目に生きようとすると、とても生きにくい。もがいても、もがいてもどうにもならないことがたくさんある。こんなに頑張ってるのに、って。努力にも、報われる報われないにも運があると思う。いつしか真実、現実を見ることが心底イヤになって、もう何をすればいいのか、もはやお手上げ。そんな時に頼ってしまいたくなる場所。
何年も何十年も悩んでいること。この苦しみから逃れたい。楽しく自分の人生を生きることは、そんなにいけないことだろうか。
世間のフツウの家族に憧れた
すごくツラくて、私には味方がいないと思っていた時期。周りの人はみんな幸せそうに見えた。だって、まず家族がいて、仲が良さそうなの。それって、すごくすごく幸せなことだと思う。あの人達は、そのことに気づいていたかな。当たり前すぎて、きっとそんなこと少しも考えたことないんだろうな。不公平なんてありふれた世の中で、どうして私の近くにいた人はみんな幸せそうだったの。それが悪いことじゃない。羨ましすぎた。
家族がいるうえで、さらにいろんなモノを持ってるの。やっぱり、家族という土台がしっかりしていないと何も得ることができない、ということなのか。その人達とつないだ縁を大切にできていたら、私も満たされていたのだろうか。その余裕が私にはなかった。生まれながらの幸運で人生を送っている人達。受け入れられるワケがなかった。あの人達はそのまま、ラッキーなまま。それでいい。
勝手に傷ついて、縁を切った。でも、つなげたいままの縁があの中にあっただろうか。
他人への期待値が瀑上がりしていた
今なら分かる。人が他人に100%理解されることはない。他人に他人のことは分からない…って。それでいいのだけど。家族っていうものが分からないから、夢見て理想が高くなってしまった。「お願い、私のツラさ苦しさ分かって!!」って。ムリ、ムリ(笑)。傲慢な考えだったと思う。とはいえ、あの時の私に余裕はない。
家に居場所がなく、いろんなものを否定されて奪われていく中で、救いなんてなかった。私を分かって欲しいと思いながら、どうせ分かってもらえない、分かるはずがないっていう諦めと絶望の方が大きかった。だから切ってしまった。私とは違う、私はフツウじゃない、って。誰よりもフツウに憧れながら。
みんなごめんね
みんなは私のことキライだったかな。もちろん、そういう人もいたよね。私もそう、キライな人もいたけど、好き、楽しいって思えることもあった。せっかく仲良くしてくれたのに、どうしていいか分からなかった。みんなの前の自分も、ウソだった気がして。それでも良くしてくれたのにね。あんな家じゃなかったら、あんな親じゃなかったら…時すでに遅すぎ。人を信じることができなかった。仕方ないよね。だって仕方ない。あなたたちは恵まれていて、私は、、、。
後ろも見つつ、前を見ながら生きていく
親にイジメられるって本当にキツイ。とくに幼少期からだと悲惨。泣きたくなる。でも泣いても泣いても、何も変わらない。これからどう生きるかが大事、それは分かってる。40が近づいてきて、ようやくこれまでの状況が見えてきた。いろんなことに気づけるようになった。この先、老いていく中で私にまたご縁がめぐってくるだろうか。つぎはちゃんとつないで大切にしたい。一歩踏み出さないと。
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