自分でしか自分を救うことはできない
人を信用するということ。
他の人たちはどうやってるのだろう?
私にとって、怖くてとてもできないことの一つだった。
誰かを信じてしまえば、私はその人にわかって欲しいと思ってしまうだろう。
相手が重くなるほどにのっかかることはしないと思うけど、ほんの少しだけ、きっと期待をしてしまうと思う。
ちょっとだけ、わかって欲しいって。
心細いとき、
寂しくて、鼻の根っこがつーんとなるとき、
それをこらえようとして深呼吸をするけど、
またつーんってなって涙があふれてしまうとき、
子どもの頃の寂しさや恐怖を思い出して震えが止まらなくなるとき、
きっと私は、その信じた人に手を握っていて欲しくなると思う。
そしてきっと、ぽつりぽつりとその寂しさを口に出してしまうと思う。
だけどそれは、そんな自分を何とかして欲しいと思ってるわけじゃない。
ただ、聞いてほしい。
うんうん、って。
ただただ、味方でいて欲しい。
たとえ私が100%悪いとしても。
きっと私は、何が問題か、きちんと分かっているから。
だからただ、味方でいて欲しいと思ってしまう。
どんなことも、否定せず、聞いて欲しい。
ただそれだけでいい。
そんなことを期待してしまうだろう。
きっと子どもの頃して欲しかったことを
今、求めているだけ。
でも分かってる。
期待しても、意味がないことを。
そこには寂しさだけが、残ることを。
他人は自分の思うようには動いてくれない。
当たり前だ。
自分ではないのだから。
分かって欲しい。
聞いて欲しい。
少しでいいから。
いくらそう思ったって、相手がそうしてくれるわけではない。
自分の寂しさや
自分の無価値観は
自分でしか癒せない。
人に埋めてもらうことなんてできない。
自分で自分をきちんとみてあげて
紐解いてあげる。
そして自分で自分の寂しさを癒し、愛する。
どこまでいっても、自分しかない。
寂しさが出てきたら、
誰かの手を握ろうとするのではなくて
自分をゆっくりみてあげる。
自分の声を聞いてあげる。
自分に寄り添ってあげる。
寂しくて、人恋しくて、
それはとてもつらいことかもしれないけれど
それしか、根本的な解決策はない。