知らないうちに、体の疲労感というのは溜まっていくもの
「たとえ少し好きなこと、得意なことだとしても、やり慣れていなかったり、そればかりでは偏ってきてしまいかねない。だから、適度に休ませたりすることも必要。」
書いているときは、おはようございます。
もなりんです。
昨日も仕事をしてきましたが、業務として新しいことをお願いされました。
それが「施設利用者の送迎」なのですが…。
車の大きさに反して狭い道をいかなければならないのに、対向車はスピードを落とそうとすることがあまりないように思え、さらには自転車は急に出てきたり、しかも慣れない道をいかなければならない。
いつも以上に神経を使い減らし、本来やるべき仕事への集中がなかなかしきれなかったなというところでした。
おかげで昨日の夜は普段やりたいこと以上に睡魔が先にきてしまいました…。
と、ここで。
ちょっとばかり疲労についての話。
疲労感というのは確かにありますが、できるなら自分は「疲労」ということばはあまり好きではないので使いたくないです。
しかしほかに今のところ共通で認識できそうな言葉を知らないので、使います(語彙力が足りず、申し訳ありません。)。
疲労感には、間違いなくいくつか種類があると思います。
重いものを何回も運んだり、農作業など、体を大きく使うことによる身体疲労。
これは、すぐにイメージがつくと思います。
あとは、車で事故を起こさないように神経を使ったり、パソコンで細かい文字を何回も読んだりするときなどによる疲労。
これもイメージがしやすいですね。
他には、人間関係のストレスによるものとか、同じことをやりつづける、退屈さによるものとかもあるかもしれません。
ただいずれにしても、あまりにも多くやりすぎてしまうとどこからでも体に支障を来してしまいますね。
身体疲労にしても、精神疲労にしても、人にとっては出やすい出にくいはありますので、気をつけていきたいところです。
特に疲労を感じにくい人は、いつの間にか体が壊れていた、なんてことが起きかねないので、自分の感覚以上に周りの視点というのはよくもらってもいいかもしれません。
さて、色々書きましたが。
世の中で大体の人は疲れというのを経験しています。
もしかしたら、楽なことをしていたはずが、それが原因で疲れということになっているのかもしれませんね。