何も、感じなくなっていく
「別に何を選んでもいい。憲法に反しない範囲であれば。ただ、何もせず行き場を失った体のなかは空虚なもの」
書いているときは、おはようございます。
もなりんです。
今はお盆、割りと多くの人が帰省のためにのんびりしているのですかね。
もっとも、やれ外出帰省だの暑さだので外に出たがらない人は多いのかもしれませんが。
さて、この前の「働きたくないということ」についての追加のはなし。
というより、実感も踏まえて。
帰る場所であったり仕事にいく場所があったりとで、ある意味「やらなければならないこと」というのがでてくるのでしょう。
それこそ、学校やら会社やら、人によってはあまり行きたくないというところと感じるのかもしれませんが。
それこそ、行くかどうかなんてのはその人の選択が与えられて、それをやるかどうかというのは各人の勝手であり自由でもあります。
けど、ちょっと待ってほしい。
「何もしないって、実際は結構つらいよ。」
これは、「働きたくないということ」にも載っていたのですが、自分が実感していることとしても思っています。
誰とも関わりたくない。何も仕事をしたくない。
これは、誰しもが一度は思うことなのでしょう。
勿論、それが休日であるのならそのようなことを1日してもそれはそれでありなのでしょうが。
かといって、誰とも何も会話せず、何も対応しないで流されるままにあり、社会的には誰からも見向きをされず、存在ということすらも大半の人には意識におかれない。
そういうのがずっと続くとなると、これは実に何ものでもなくなり、ただ「虚無感」しか得られなくなる。
まるで、砂漠のど真ん中か無人島に置いていかれたかのように。
ふと、思ったこととして。
どんな形であれ、引きこもりになってしまった人なんかは同じような虚無感を覚えているのかもしれません。
また、もっと深刻になるのかな?と思ったのは「寝たきり」で体すら動かなくなってしまった人もまた、ただ孤独のままにいるようになるのかなという気がしました。
ただだれかから介護されて、こちらは何もできない。
内心、どう思っているかは分からないですが、何もできない、ただされるがままになっているときというのは、同じように心のなかでは寂しさを覚えているのかもしれませんね。
※もっとも、それまでに至るまでは自分の選択の結果ということを念頭におくことでしょうが。
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