飲み水はどれをとるか
「日本の人はいつから井戸水を直接飲まなくなったものか。」
書いているときは、おはようございます。
もなりんです。
前回、水分補給について書いていました。
雨にも暑さにも負けずにいきたいので、やはりちゃんとしたものを適宜飲むようにしたいところですね。
それで雨をみていて思ったことがあります。
「そういえば、雨水って飲まないよな。けど昔はそれが地面に染み渡るような井戸水を飲んでいたりしていた。
他の国ではインフラの関係もあるとはいえ井戸水や川の水を飲んでいるところもあるな。」
何がいいたいのかというと、
「いつから日本人は水にこだわりすぎてしまったのか」ということです。
かくいう自分も、やはり美味しい水は飲みたいものですが、そうでなくてもかつての人たちは生きる上で飲み水をどうしていたのかなと思いました。
そうなると、今のように浄水場で塩素を交えていないですが、それでも生きることができていた人もいるということに気づかされます。
勿論、病気との戦いもあります。
有名なところでは外国ではありますが、コレラの感染源がある特定の井戸水からくるものであったこと。
また汚染物が流されてきた川の下流に住む人はその川の水を飲みざるを得ないことも。
そういう環境を改善すべく、学問が発達し、水道が整備され、綺麗にすみやすくなっていきました。
そのせいなのでしょうかね。
今度は「もっときれい」を求めようとするあまりに、塩素はダメだ、炭酸水の方がいい、いや水素水だ、ミネラルウォーターだというのがでてきました。
また日本の水ではなく、外国の水、ヴォ◯ビッグとかクリスタル◯イザーとか何とか、色々な国の水が入ってきて、味がどうとか料理にはこの水がいいとか。
ちょっと行きすぎているところがあるように思わざるを得ません。
そういう恩恵を授かっているとはいえ、本来であれば水は「生き残るため」「生物として活動をする」ために必要なものであるに過ぎないはずです。
それをまるでファッションか何かのように、選んでは捨てて、選んでは捨てている。
どこか恐ろしさを覚えます。
やはり、今の世の中でしたら本来としては周りにあるものだけでも生きるだけであれば十分であるのかもしれませんね。
もう少し、周りにあるもので飾り気があるかどうか、本当に必要かどうか、吟味が必要だなと反省しつつ伝えられるようにしていき、今日はこれまでとします。