今の自分を未来の子供たちにみせられるか?

「未来の子供たちが見たときに、この人みたいになりたいと思えるような人に、なっているか?」

書いているときは、おはようございます。

もなりんです。
今日もまた朝早くからの出発のため、早めに投稿します。

もはや2020も8月、本来なら様々なところで子供のはしゃぎ声とか聞こえてくるのでしょうが…。

夏休みとは一体…。

ということも含めてというわけではないのですが、たまたま頭の片隅に思い浮かんだフレーズが一番始めのことです。

みなさんは、どう思いますか?

なかなか意識にものぼってこないという人が多いでしょうかね、特に独身者や若手の人は。

なぜ、この言葉が出てきたのかは分かりませんが、昨日から引っ掛かっています。

やはり、今の在りかたに納得がいっていないのでしょうね。

どこか、自分を見せるのに後ろめたさがある。

そう感じるのであるなら、今のやっていることはおかしなことであるか、見せるのには不十分な実力ではないかと感じている。

一言で表すなら、「恥」というものになるかもしれません。

本当にやりたいことで、見せてもいいのなら、たとえ笑われても指をさされていても、その姿を堂々と示しているでしょう。

…どうやら、自分の生き方のヒントになりそうです。

今までも未来思考ということを考えてきていたこともあり、「今はこういうことが問題だ」とか「こういう世の中にしたい」とかというニュアンスをなるべく示すようにはしていました。

中には、個人の問題も含まれていることもあったので、中々気づきにくいこともあるかもしれません。

しかし、どうしても見えにくいなと思っていたのは、「他人からみたらどう思うか」ということですね。

仮に思っていたとしても、あくまで「自分の予測の範囲内」での見方であり、客観視というものは中々難しいものです。

もちろん、「子供からみたら」というのも予測であるかもしれません。

ここで、大きなポイントがあります。

子供からみるときって、結構素直に評価を出すのではないかということです。

楽しそう、面白そう、つまらなそう、悲しそう…

こういう感情を大胆に、そして行動に変えるかのように出しているのが子供たちの反応かなと思います(今の子供たちをあまり接していないので、あくまで主観的ではありますが…)。

また生きるうえでの流れとして、命がうまれ、育ち、また新たな命が生まれるとともに別の命がなくなる。

これを繰り返してきたのが、人類に限らず全ての動物に起きていたことです。

となると、今の我々のいわゆる大人達が見せているのが、未来の子供たちの1つの生き方になります。

そうであるなら、今やっていることは子供たちに見せられますか?

ふと、そう思った昨日の夜から今朝にかけてのはなし。

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もなりん
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