「恐怖」で思考が支配される
GWも今日で終わりになりますね。
どう過ごしたかは人それぞれかもしれませんが、中々出掛けにくいなと思われる方が大半かと思われます。
それにしても、「自粛してほしい。そうでなければあなただけでなく周りの人も感染してしまいますよ」というのは中々考えさせられるなと思いました。
人は確かに大勢の人の動きをみて着いていこう、見に行こうとする心理が働きます。
いわば行列があるから並んでみようとするようなものです。
しかもそれが世界的に外出を避けようと行われていますから、尚更出掛けるのは躊躇われるようにはなりますね。
ただ、ふと思ったのですが。
どうもこのやり方、何か裏にありそうだ、と。
そう。政治とマスコミを利用した行動の束縛。
さっきは優しい文面にしましたが、ちょっと言葉を変えてみると、
「この情勢で外に出てみなさい!そしたらあなたとあなたに関わった人は感染して大変な目に逢いますよ」。
まるで脅迫ですね。そんな風にもとれますね。
まあ、家に出させないで仕事ができることが発見できたのは1つの明るい側面かもしれませんが。
ただ、明らかに過剰だなと思われることも大分あるなというのが自分の認識です。
ちょっと隣の人が何かを落としたから拾って渡しただけで、「離れてください」とかとなるんでしょうね。
自分もスーパーに買い物へ行ったときに、前にいたおばちゃんから「あんたもっと離れて」と。
そのときは少なくともレジ1つ分は離れていたのにも関わらず、です。
あまりにも、今回の騒動で感染の恐怖を植えつけられいるようにも見えました。
別にちょっと近くにいるだけで死ぬ訳じゃないのに…。
ただそうした感染のことだけでなく、他にも恐怖から行動を縛られることっていうのは大分あります。
それこそ、いじめられっ子がいじめっ子に対して抵抗できずなすがままになるとか。
教育なんかいい例でしょう。
「ちゃんと学校で勉強して、いい高校大学へ行って、いいところへ就職すれば人生安泰です。そうでなければ人生が滅茶苦茶になりますよ」とかは戦後の親とか教師とか、自分が学生の頃はそんな教えをしています。
今も変わらずそんなことをいっているのですかね?
学校からは離れているから分かりませんが(笑)。
だからこそ、ちゃんと自分で確かめてほしい。
そうした恐怖にあるものは、真実なのか。
恐怖に感じているものがあるから、行動を縛られています。