乗り越えたいこと
コロナ禍はまだまだ続くと思われます。
「禍転じて福と為す」ために考え、行動に移していかなくてはならないなと思っています。子供にそうあってほしいと願うだけじゃなく、私自身の背中を見せないとだめですよね。
私はラグビーが好きです。ラグビーから教わること、心揺さぶられることがたくさんあります。
昨年の秋には日本でラグビーワールドカップが開催されました。JAPANは快進撃を見せてくれ「もう奇跡とは言わせない!」との名言通り、目標に掲げていたベスト8を達成することができました。
その中でコーチや選手達がいつも口をそろえて発していた言葉がありました。
「最高のパフォーマンスを出すために準備をする」
「準備」を辞書で調べてみました。
あることをうまく行うために、前もって仕度すること。 「 -に余念がない」 「昼食を-して待つ」 〔類義の語に「用意」があるが、「用意」はある物事を行うために必要なものなどをそろえる意を表す。それに対して「準備」は物事がうまく運ぶように前もって環境や態勢などを整える意を表す〕
(大辞林 第三版の解説)
そうか、「物事がうまく運ぶように」なんだ。
ただ「物事を行うために」だけじゃないってことなんですね。
今、こうやって言葉の意味一つとってみても、なんとなく知っているようで実は本当の意味を知らずにさも知っているかのように使っている自分に気づきます。
「なんとなく」も調べてみました。
「ものの様子がはっきりしておらず抽象的であるさま」
「深く考えずに勢いのままに物事を行うこと」
(Weblio類語辞書より)
私は日頃「深く考えずに」ものを言ったり、書いたりすることがどれだけ多いかを痛感している今日この頃です。
私が「乗り越えたいこと」はなにか。
・もう少しものごとを深く考えてから言葉を発したい。
・思ったことをそのまま言葉に出すことでそれを聞いた人がどう感じるかを想像してそのことばが適切かどうかを考えてから話をしたい。
・自分の失敗や欠点に気づいたときに、素直に受け止め、改善する努力をし、克服するための具体的な行動を起こしたい。
今までも「乗り越えたい」と思ってはその「具体的な行動」には移せずに年だけを重ねてきました。それはなぜかを考えることもせずに。いや考えていたのかもしれませんが、「具体的な行動」を起こしたらどうなるのかを知るのが怖かったのか、今の自分に甘んじている方が心地良かったのか・・・原因は一つではないと思いますが、そういう自分で居続けることにいい加減辟易してきたのです。この壁を乗り越えなければ、事柄は変わってもまた同じ壁の前で立ち尽くす人生はもう嫌だと、このコロナ禍のおかげでやっと心の奥底で強く感じたのです。
主人の仕事は大工です。個人事業主として一人で建築の仕事をしています。私は結婚以来、ずっと主人の仕事の「お手伝い」をしてきたつもりでした。主人と二人三脚で仕事をやっているという自覚もなければ、そうしたいという気持ちもさらさらありませんでした。仕事上はあくまでも主人が主で私はどこまでも「お手伝い」の域を脱しない、そのほうが楽だし、責任をもつのが嫌だったのかもしれません。しかし、これまでと同じスタイルでいたのではその仕事自体がなくなるのではないかという危機に立たされていることに主人も私も気が付いたのです。
この危機を脱するために私は何をすればいいのかを考えました。
それは「お手伝いの域を脱すること」なんじゃないか。主人の大工としての仕事を私自身も自分事として真正面から向き合っていこうとやっと思えたのです。正確に言えば、そう思えるように背中を押してもらったのです。
次に私のできることは何かを考えました。
ここで冒頭の「最高のパフォーマンスを出すために準備をする」にたどり着いたのです。私たちにとって「最高のパフォーマンス」とはなにか。それはお客様の要望に応え得る大工としての技術です。主人がその技術をうまく発揮できるように準備することが私にできること。では具体的にはなにをすればいいのか。
「WEBサイトやチラシなどで広報活動すること」
これが今の私にできることです。広報活動といっても専門知識もなければ技術もないので広報の専門家に助けてもらいながら少しずつ歩き始めたところです。これからの道がどんな道かわかりませんが、つまずいたり溝にはまったりしながらの珍道中をこのnoteに書いていくことで自分の気持ちの整理をしていけたらと思います。
このnoteを始めたのも「今の自分を乗り越える」ための手段だったのかもしれません。
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